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因縁(カルマ)に関する密教ブログ②

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

因縁

人間に生まれ、宿業因縁を持たぬ者はいない。
それは、絡み合う糸の様に複雑に関係し合っている。
それを解して行くのが人生であり、苦難苦悩の原因であり、人生の課題なのです。

解っているが、苦難苦悩する時…人は嘆き、逃避したいと考えるのは当然です。
しかし、逃げ場はないと知る時…絶望に近い苦悩に苛まれて行きます。

その時に、人は選択します。
行くか…戻るか…闘うか…負けるか…
何もせず耐えるか…

密教は、その苦難をも、変える法が存在します。
それが、因縁解脱法です。
内容は此処では書けませんが、確実に因縁を変えて行く事が出来ます。

因縁には、良いと感じる因縁もあれば、苦しみのたうつ因縁もあります。
全てを精神論で片付けるのは簡単ですが、今、現実に苦しむ人に、苦しみはいつか癒える…と精神論を唱えてもその人を救う事は出来ません。

今、必要なのは、確実に癒す事が求められているのです。
密教の法には、それが存在します。
後は、貴方が決める事…

全ては決断から始まり、解決が終わりを意味する、人生を送る…
それが究極の満足になる事と信じます。

身勝手な人

昨今、目立つのが自分勝手な人達である。


先日、自転車に子供を二人乗せて走る若い母親が、曲がり角を安全も確かめずに曲がって行ったのを見かけた。
私は思わず危ないと叫びそうに成った。

其処から少し離れた場所で事故が発生して居た。
観ると、さっき安全確認もしないで曲がって行った自転車が倒れていた。
衝突事故である。
直ぐに救急車のサイレンが聞こえた。

子供を抱えて母親が唖然としていたところに救急車が到着し、警察も来た。

私は思う。

子供の為を考えるなら、無某な事は避けねばならない。
これから、同様な事故は増加の一途を辿るであろう。

年々増加する身勝手な人達。
自宅の前の道路に私有地と書き、通る人を妨害して逮捕されても反省すらしない。

高齢者、正に身勝手の典型的な例である。
其処には分別のカケラもない。
近隣の住民は、15年の長き渡り苦しんで来たと云う。
分別は年齢に比例しない。

何故か?
それは、道徳心を學ばず身勝手に生きた証拠である。
本来、子供の頃に卒業せねばならない學びをうやむやにした為である。


また、職業が教育者であるにもかかわらず、不祥事を起こした人達も身勝手に生きた証拠である。


私は此処で教育論を書く気は無いが、皆さんには御判りのはずである。
明らかに今の日本は、どこかおかしいと。

他人の批判に始まり、自分の事は棚上げする人達に私は警鐘を鳴らし教えてあげたい。
このまま行けば必ず泣くことになると。
そんな事は関係ないと言えば、大きな因縁が駆け足でやって来ます。
本心から関係無いと思うのであれば、一言で出来ます。


しあわせを望まない者を私は知らない。
しあわせを望むのであるのなら。
今からでも遅く無いのです、學びなさい。

そして今迄に作ったカルマ《因縁》を、少しでも解消に向けて努力する事をお勧めする。


カルマの増加

政治家から一般人まで、今迄に無いほどのカルマ《因縁》を背負って居る姿が私には視える。
何故これほどカルマを背負って居る人が増えたのか?
それは自己中心的な人が増えた結果である。
このまま増え続ければ、恐ろしい結果を生み出すで有ろう事は、火を見るよりも明らかと考えます。

私の予言文を見て頂けば解ります。
人間は誰しもしあわせを望みますが、カルマを重ねれば重ねるほど、しあわせからは遠去かります!

以下は、一例です。

詐欺、誹謗中傷、クレイマー、偽装、犯罪者。
これは、最高にカルマを増大させます。

馬鹿坊主の戯言と思う方は、続けるが良かろう。

必ず結果は出ます。
氣づいた時は、手遅れである。

凄まじいカルマ《因縁》の返礼を味わう事に成るのです。
これが、因果応報である。

その逆に、貧しくとも先祖を敬い、神仏を尊び、他に優しい人の人生は必ず開華します。
言わば報われるのです。
光と影、陰と陽、貧富に繋がるのである。

自分さえ良ければ良い、は地獄道である。
日本には浅ましいと言う言葉があるが、本当に浅ましいのは上記にかいた行為である。

身勝手

身勝手とは、身を滅ぼす第一段階である!
自分で公言し、自分で破棄する事は全ての信用と信頼を失うだけでは無く、人間失格である。



此処で考え無くてはいけないのが、発言と公言の違いである。

古い言葉に、「武士に二言は無い!」とあるが、有言実行とは容易い事では無い。
反対に不言実行は現在では死語である。

現在、他の人に黙ってついて来いなどと言えば全員に笑われるのが関の山である。

有言を如何に実行、実現するかはその人の人間力である!

人間力を向上させる事は、並大抵の努力では身に付くものでは無いが、諦めた時点で向上は無い。
男女とも同じことが言えよう。

しかし女性でありながら、男性でも成しえない偉業を達成した尼僧を何人か存じ上げて居ります。

一見は優しい菩薩の様だが、心眼鋭く見抜く眼は正に明王である。

その道に進むべく、一人の女性が志願して居る《私の弟子》
いばらの道だが、やり通すで在ろう事は私が一番よく知って居る。

本当の修行にこれで良いと言う事は無い。

あるとすれば句切りである。
言わば段階である。

自分で行くと決めた道を歩んで行くのは、当然であり公言する必要も無いが、この道は裏切りは許され無い道である。


それから考えれば、人間界の自分勝手も公言、発言も児戯に等しい。
だからと言って、上記の行為が許される訳では無い。

必ず報いを骨身にしみる出来事に遭遇する事に成る《確実》

人間正直が正しく、金である。

騙せば、騙され、犯せば犯され、殺せば殺されるが因縁である。


お計らいの力

私は、お計らいの力の凄さを何度と無く知って居る。

事例を挙げれば切りがないほどですが、敢えて書きません。
何故か。
不思議思考に成って欲しく無いからである。

不思議思考は、人間には必要ありません。
必要なのは、素直に受け取り、正心に生きる事である。
《正心に優るもの無し》
欲を制し、感謝と布施の心で生きる時、未知の力が働きあなたに真実を知らしめます。

一例を挙げれば、行方不明の人が家族の御祈願に依って帰郷、帰宅する。
病の宣告を受けた方が、大難は小難、小難は無難にとお計らいが働かれることも多々あります。
仕事が決まらず困って居た方が、決まった。
借金苦で喘いで居た方が、思わぬ形で救いが来た。
などなど、数え挙げれば切りがないほどです。

此れは全てお計らいの力である。

では何故、お計らいの力が動くのか?

反省と感謝の念が届いた時に発動されます。

では何故、反省と感謝が必要か。
反省と感謝が足りない場合は必ず繰り返します。

因縁は試練であり、基本的には學びなのです。
學ばず繰り返せば、同じ事が起こるのは当たり前である。

履修し、同じ過ちを犯さ無い為にも反省と感謝が必要であり、其処にお計らいの力が動くのである。

お計らいだけを望んでも、発動はしません。

現代社会が何でも早く出来上がるから、此れもあれも早く出来ると考えるのは、インスタント脳に成っている証拠と言わざるをえない。

因縁解脱

密教には、因縁解脱の法が様々に残されて居ります。
それは何故か?
因縁と言うものが、私達が生きて行く中で様々に影響して来るからなのである。



中には、こんな例もあります。

本人は真面目にやって居るのに、様々な苦難に遭遇する。
何をやっても途中まで《中途挫折の因縁》
何度、恋愛をしても上手くいかない。
仕事も、途中までは上手く行くが、他に成功を奪われて自分に残ったのは整理だけ。
様々に絡み合います。

信じて居た者からの裏切り行為。
例を挙げればきりが無いほどあります。

それは、カルマであり因縁の力が作用して居る場合があります。

密教にはその因縁を解き新たな道を開く為の法が用意されて居ります。

では何故、因縁を解かねばならないか?
無垢の状態にし本来、自身が目指す道を進む為に必要だからなのである。

例えば、山を越えるには、大変な体力と知識、装備が必要と成ります。

また目的を果たし、帰るにもまた山を越え無くては成りません。

それがトンネルがあれば、誰でも通行が可能に成ります。
山を登る事が目的では無い場合、山を越える事は苦痛でしかありません。
また、体力の無い人には、最初から無理な話しである。

目的の為には体力が必要ですが、体力を有してい無い人は達成出来ないのか。
違います。

体力が無くても、目的を達成させたいと考えるのが密教である。

だからこそ、ありとあらゆる経典が存在して居るのです。

口伝は、経典の深部を伝える事を真とし、経典はそれに至るまでの教科書である。
密教は、全ての人に平等である。
しあわせも、全ての人に平等であると説くのが密教なのです。



地球規模のカルマ

カルマ《因縁》は、戦争である!
人を虐殺し、様々な生物をも巻き込み破壊する戦争。
一人の独裁者が、己れの感情を満たす為に起こす行為としては最悪な選択です。

歴史に照らしても明白です。

そして、独裁者の最も低俗なところは、己れの意見に賛同しない者には、例え親兄弟でも虐殺する事である。

ましてや一般国民など、塵芥としか思わない性格は悪魔そのものである!
母なる女性の体内から生まれようと、悪魔の魂を宿したのは己れの選択である。

例えば、私の知る例で、口では敬語を使い、心では正反対の行動に出た者を私は知っている。


これを繰り返し行うと、やがて魂は穢れ、自分でも制御不能な状況を自分が作り上げてしまう事が多々出て来ます。
そう成った時は、手遅れで末期状態に陥っていきます。

様々な犯罪者も同じ部類である。

自分さえ良ければの考え方、正に究極の我儘体質である。

普通の人々は、自身の痛みを理解し、他人の痛みを理解する時、その後の人生は実りあるものに変化します。

自己満足に生きるか?
達観した人生を生きるかは、全て自由意思である。


愛と平和

人を愛する事は尊い。
しかし、愛と我欲を混同する時、愛は失せ魂の意味も解らず生涯を過ごすことに成ります。

女性は男性のオモチャでは無い。

男性は女性のスポンサーでは無い。
男女同権とは、互いがいたわり合い初めて成立するのです。

自己の主張を優先したいのであれば、男女共に独身を貫いた方がしあわせである。

しかし日本の現状は、今だ女性が涙する事が多いのが現状である。
私の元に寄せられる相談も、女性が泣いて居る事が大半を占めて居る。
嘆かわしい事である。


しかし、そんな場合でもご安心下さい。

カルマの法則《因縁》からは、逃げられ無いのである。
女性を泣かした男性には、必ず報いが参ります。

また女性も同じで、男性を落としめた場合にもカルマの法則は見逃しません。

泣かせば泣かされ、奪えば奪われ、傷つければ傷つけられ、殺せば殺される、これが法則である。
何人たりともこの法則から逃れる事は、出来ないのである。

但しある事を持ってすれば可能と言えますが、此処では書くことは出来ません《模倣、悪用を避ける為》

従って、泣かし傷つける事は、双方、何の得にもならない事を知るべきである。

一例を挙げれば、過去に美しい女性が居ました。
女性は自己の美貌を武器として様々な男性を騙し、ある男性は失意の内に自殺をしました。

その女性は男性の自殺から一年後に事故を起こし、顔の半面を見るも無惨に失い、その後の人生は惨憺たるものでした。
スーパーの店員にも採用されず、狂乱し強制入院させられその後は…。

正に因縁である。

僅かな徳と虚栄心の為に取った行動が、後でとんでも無い結末を迎え様とは知る由も無い。
これを信じ様が信じまいが自由である。

男女問わず、キチガイ坊主の戯言と笑う方はご自由に。

by kongousan-akafudo | 2020-05-24 12:00 | ├密教の世界
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