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愛に関する密教ブログ 11

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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

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聖なる愛

人々に、御仏の愛を、具現化して観せた空海聖人。
学ぶ事の尊さ、素晴らしさを伝え、多くの上人を世に送り出した、比叡山延暦寺開山の祖、最澄聖人
一貫して愛を説き、愛に生きた!親鸞聖人。
正に、偉人、天才、慈愛の人、霊界から選ばれし方々です。

今の日本の現状は、精神性より、物質的価値観の渦巻きの中にいる様に思います。

人間は、何故生まれ、何故生きる?
正に現界は今、精神性の危機と言えます。
物、金、物、金、何処までも、果てしない物欲は、最後自分達に牙を剥く、〇〇〇に変化して、襲い掛かって来ます。

清貧に生きるとは?全ての物質を、否定する事ではありません。
自分に必要か、不必要かでもありません。
物に感謝し、恵みに感謝して、無駄にしない心です。

理性と想像力を持っているのは、人間である証しです。
豊かさ、貧しさは、本来、心の領分です。
物質を金を、多く所有していれば豊か?少なければ貧乏?違います。
お金をどれだけ持っていても、心を潤すことは出来ません。

貧しくても互いに助け合う精神性を持って、生きる時、悟ります。
自分が如何にしあわせなのかを。

人生は有限

人生には、限りがある事は、誰でも知っている事実ですが、
魂の不滅を本当の意味で理解しているかは、不明ではないでしょうか?

前項で述べた様に、愛の奇跡、愛の不滅…私達は前世で学び切れずに、終わった項目を、現界で学習する為に、生まれたのです‼️

様々な試練を、乗り越え現界に学びを深める為にやって来た、学生です。
辛い事、悲しい事、苦しい事は、貴女を成長させる素晴らしい、教材なのです。
そして、喜びは、挫けそうになる貴女に与えられた、神仏からのご褒美なのです。

貴女に耐えられない試練を、神仏は与えません
私達の魂は、永遠に不滅なのです。
現界の様々な誘惑は、自分を磨く為に、自分が用意した試金石であり、
様々な事象は、他人と自分ではなく、全て自分の中での事なのです‼️

自分で選び、自分で進み自分で躓き、自分で傷つき、自分で立ち上がる。
全ては、学びと理解出来た時、私達は、大いなる力を実感します。

大霊は、愛の手を常に貴女に差し伸べておられます。
大霊の御手を掴むか?離すかは、貴女の自由意思と、高級霊は仰られています。

現界での様々な出来事は、魂の視点に立って視る時、ただ一瞬の出来事に過ぎないのです。
信仰心を尊び、愛に目覚める時、私達は、本当の意味での、自分を知ることになります。

貴女は、一人ではありません。いわば貴女は霊界の選ばれし、代表選手なのです。
今日と言う日は、二度と訪れることは、ありません。

何故ならば、明日は誰にも、約束はされていません。
だから、私達は、今日と言う日を大切に生きてこそ、明日が生きて来るのではないでしょうか。

不滅の愛

私は、ある二人の事を思い出す時、眼頭が熱くなる事を禁じ得ません。

あれは、夏の暑さが、厳しい日でした。
寺に一組のカップルが、祈祷の依頼に、おいでになりました。
仲の良いご夫婦の様です。傍目にも、仲睦まじい様子は、清々しさを、感じて参りました。

たまたま、愚僧が当番で祈祷を受けさせて頂き、内容を伺い、驚きました。
奥様が不治の病で余命宣告を受け、何と、お腹には、命が宿っておられ、
自分は召されても、子供だけは、丈夫な子供に育って欲しい、という思いで、祈祷依頼にみえた事を伺い、愚僧は、不覚にも涙でした。

御夫妻は奥様が亡き後、お子様をご主人が育てる事まで決めて、
奥様は自分より後に残るご主人と、まだ見ぬ我が子の為に、ご主人に頼んで、ここまで来られたそうであります。

私は、渾身の力を込めて護摩法を厳修させて頂きました。
それから、数カ月が過ぎた、温かな春の日に、お子様を抱いたあのご主人が、お子様の宮詣りに、おいでになりました。
その横には、初老のご婦人が…ご主人のお母様です。
お子様の、無病息災を祈祷させて頂き、熱いお茶を飲んで頂き、お話しを伺うと、
奥様は立派に出産し、愛しい我が子の顔を見てから、静かに眠る様に、亡くなられたそうです。

今日はお子様の、晴れの日。
私は、必死で涙を堪えました。
話しも、終わり、山門まで、お見送りしました。
山門を出たご主人達は、後ろを何度も振り返り、名残りおしそうに。

その時に私は、見ました。ご主人に寄り添い、赤ちゃんの顔を覗き込みしあわせそうな、奥様がおいでになりました。
ご主人も辛さを堪え、奥様との約束を守り、お子様を連れて、お参りに、その横には、ずっと奥様が、寄り添っておられたのです。

私は、祈ります。
世の素晴らしいご夫婦と素晴らしいカップルに、御仏の御加護を賜わらん事を。

霊界

霊界には、階層が存在します。
上から、霊界、幽界、幽現界、私達の居るのが現界です。

何故、階層が存在するか?
それは、魂の階層です。

現界は、上も下もごちゃ混ぜの、ファミリーランドです。
苦しみ、悲しみ、恐れ、怒り、恋、失恋、死別…数え切れない試練の、連続かもしれません。
しかし、試練の合間には喜びもあります。

折れては、イケマセン。
全ては学びです。

あらゆる事を感動に変えられるのは、貴女の愛を信じる心です。
霊界に還る時、持って還れるのは、経験という感動です。

感動こそ、魂を磨く最良の方法です。

愛の電池切れ

人間は、些細な事からやがては、別離に至ることがあります。

初めて会った時の、あの喜びも、様々な楽しかった出来事も、生活の渦に飲み込まれ、疲れ疲弊するとき…人は、愛の電池切れになりやすく、
私は、これ程努力してるのに。
私が、私が…になります。

我慢も大切ですが、過ぎた我慢は、精神面にダメージを与えます。

仕事も人生も、自己責任であり、仕事で傷つくようであれば、転職を考えて、家庭で傷つくようであれば、孤高に生きる事も選択です。

しかし、甘えてはなりません。
転職も孤高に生きる事も、全ては責任主体だと言う事を、しっかり理解してから選択しましょう。

まず自分を振り返り、愛の電池切れでは、なかったか?
考える事もありではないでしょうか?

波動の乱れ

今、ある地域の波動が乱れています。


皆さんも、氣づいておられると思いますが、乱れが日を追うごとに増加しております。

この乱れは、積年の積み重ねも原因の一つです。

例えば、自分の部屋で掃除もせずギャンブルに明け暮れ、勝った日は上機嫌!
負け日は、愚痴三昧!

次の日、ギャンブルの必勝祈願を寺社にして、ギャンブル場に向かう。

何をしても、自由です。
自己責任であり、責任主体の人生です。

ギャンブルに負け、自分の思い通りにならない…
お参りもしたのに…御賽銭も入れたのに…
力のある寺社だと思ったのに…

なんで上手くいかない?

自分は、悪くない…何で自分だけが貧乏、好きになってくれる異性もいない…
自分は、なんて不幸なんだ。

世の中が悪い、運が悪いのは、寺社のせいだ。
だのに…だから…自分は関係ない

自分は悪くないのに、ただ運が悪かった。

…以上の考え方が悪想念になり、その人の人格をも歪め、善悪の基準も、自分だけの簡単な基準に当て嵌めていく結果になります。


全ては、平等なのです。
人は上下は、ないのです。

あるのは、僻み、ひがみだけです。

天を敬い、人を愛する時
必ず光に包まれます。


皆様のしあわせを御祈念申し上げます。

破局

例えば、仲の良い夫婦《カップル》が些細な事で破局を迎える事が多々ありますが、これは、愛の電池切れが原因である。

人は、極度な疲労や心労に襲われた場合、思いやりの心に亀裂が生じ、優しさを失う場合があります。
それを許容できれば、問題は、生じ無いのですが、多くの場合、衝突してしまう様である。

愛には、充電が不可欠であると、私は、考えます。
充電法は、様々に存在しますが、根底をしめるのは、愛情、理性、思いやりである。

愛情の裏返しは、無関心であり、無関心に陥ってしまった場合は、潔ぎよく手放す事をお勧めします。
手放さず、執着の海に迷う時、執着は、やがて憎悪に発展するケースがあります。

孤独に生きるのでは無く、孤高に生きる事は、自身の尊厳を護る最良の選択と考えます。
但し、孤高に生きるには、かなりの覚悟が必要である事を忘れてはならない。

あらゆる事に一人で対処して行かなくては、ならないのです。
別離を選択する前に、自身を振り返り、冷静にまた、理性的に考え反省する必要があります。

利己的に自身の保身に走る場合、後から来るのは、後悔の二文字である。

手放す勇気は、保身では無い學びである。
尊厳とは、甘えからは発するものでは、無い。
幸せは、自らが築くもの、与えられるのを待つものでは、ありません。

意見と學び

私は、四十三年前に両親と死別しました、二十歳の時でした。

今、想うに《親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄は無い》人を想い、発する言葉には、どんな厳しい言葉で有っても、愛があります。
その逆に、愛の無い言葉には、《誹謗、中傷、妬み、嫉み、憎悪、》物資的価値観を裏付けする利己主義が存在するのである。

時として、言葉は、人《他人》を育て成長を促し、激励します。
しかし、現代は、揚げ足をとる事が、まるで文化の様に成っています。

失言を責める依りも、改めさせる親の愛、《殺す依り、活かす》正に、愛が無ければ出来無い事である《菩薩行》。

私達の親は、正に菩薩行を教えてくれた恩人であります。
今、私達に与えられた課題は、育てる事である。
育てずに成長は、無い。

私も含めて、人間は、未熟な存在である。
しかし未熟だからこそ、生まれてこられたのです。
全てを達観し、答えを出せる人間なら、生まれて来る必要も無い(解脱)のである。

人は、學びを受け入れる時、其処には、あなただけの愛が存在するのま事実であります。
個性も學び、同じ人生など無い事を知る時、本当の自分が理解出来るのである。
当院は、そんな貴方を待っています。

戦争

戦争をおこすのは、人間だけである。

何故、人間は、戦争をするのか?
何故、戦争を好むのか?

動物は、争いもするが殺し合いはし無い。
では、人間は、動物以下なのか?

そして戦争は、立場の弱い者が犠牲に成るのも、周知の事実である。
戦争が好きな指導者同士が、リングの上で好きなだけ闘えば良いのである。
そうすれば、兵士も軍備も必要無いのである。愚かな事である、

人間がおこす戦争は、悲劇と悲惨さしかもたらさ無い愚行である!
食料が必要ならば、分かち合い、愛が必要ならば、分かり合えば良いだけである。

民族主義に固執するのであれば、自給自足に徹すれば良いだけの事である。
宗教闘争も同じである。
過去に宗教戦争もあったが、信じたく無ければ、無視するだけで良いのである。

揶揄する必要も無いし、他に勧める必要も無い。
信じたければ信じ、嫌なら辞める自由がある。
全ての争いの根幹は、押し付けにあると考えます。

北朝鮮の実状は、国民は、飢えに苦しみ、一部の階層が自らの生活を守る為だけに、未熟な者を祭り上げ
迎合を繰り返して居るに過ぎません。

争いを好む時、破滅と云う魔物が口を開け歓喜して居る事を知る時では、無いでしょうか。

愛別離苦

どんなに愛して居ても、いつかは、別れが来る《死別》。
人は、永遠の別れと捉えますが、それは、肉体と云う衣を脱ぎ次の段階に入っただけなのです。
後に残った者も、やがて肉体の衣を脱ぎ、愛しい人と再会するのである。
であるから、恥じ無い生き方をするのです。
この法則から逃れる事は、出来ません。

次にお話しする事は、実話である。

その方は、最愛の奥様を病で亡くされ、幼いお子さんと二人。
奥様無しで過ごされ、悲しみの中に身を置かれておられました。

ある時、奥様がご主人に語られました。
《先に行ってごめんなさい、でも私は、貴方と赤ちゃんの側にいます》

それからは、事あるごとにご主人に語られておられました。
そんな時、ある方の紹介で私の寺に相談に来られ、今迄の事をお話しされました。

正に、涙の相談であります。
ご主人の気持ち、奥様の気持ちが、痛いほど伝わって参ります。

しかし、肉体の衣を脱いで霊体に戻られた奥様が、現界にとどまる事は危険なのです。
《無防備状態》
一刻も早く、先祖霊や仲間の居る霊界に帰り、霊的保護の下で過ごす事が急務なのです。

私はご主人を諭し、奥様には説得を試みました。
奥様は説得に応じ、霊界から、ご主人とお子さんを見守り続けておられます。

その後、ご主人は信仰の道に目覚められ、昼は仕事に専念され、夜は育児に専念され、作った時間で信仰の道を學ばれておられます。

願わくば、親子に幸多かれと、御本尊様にお祈り申し上げております。




by kongousan-akafudo | 2020-04-22 12:00 | ├愛について
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