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愛に関する密教ブログ 1

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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事を特集して参ります。
どうぞご覧ください。

慈愛に生きる

人の世は、學び、悩み、苦しみ、悲しみ、怒り、喜び.... 。
様々な心の葛藤の末に、望む事は平安...安心の境地ではないでしょうか。

貧富の差は何時の世も御座いますが、果たしてお金だけが全てでしょうか?
お金が有っても病に苦しみ、お金に右往左往させられる人生に安心はあるのでしょうか?

貧しくても肩寄せ合い生きる時...
そこにはしあわせのオーラが充満しております。

私は様々な加持祈祷を謹修させて頂きましたが、家族を想い、愛する人の為に私の寺にお出でになられる方々のご依頼をお受けするたびに、暖かい心の温もりを感じております。
優しい慈愛の心を視るにつけ、日本の平安を祈らずにはいられません。

今、巷では、様々な事件事故が頻発しておりますが、これは愛情の裏返しなのです。

無関心から来る現象なのです。
自分さえ良ければ良いと思う時、そこには愛は存在しません。

愛、無くしては、平安は存在しません。
昨今、流行りの自己アピール、それも良いでしょう。
しかし、相手あっての自己アピールです。

無人島で、自己アピールしても、何の意味もない事を考えて行動する時、他を思いやる心が芽生えます。
他、有っての自分と.....。
今年もあと僅か...
込めて生きる事も必要ではないでしょうか。


霊的思い癖

前世と今世のギャップによる思い癖は、時として病として発生する事が在ります。

例えば、前世に於いて母を学び切れなかったとします。
今世で子を成し、母子になり、前世で果たし切れなかった思いを子に向け過ぎた結果、親子の断絶に繋がったケースを私は知っている。

他にも様々な事例がありますが、前世で病気を患い、苦しい事を味わい、失意の内に人生を終えた人は、今世では、氣の回し過ぎで胃や精神を病む要素があります。

今世で、前世の思い癖を綺麗に払拭しなければならないと思い過ぎる傾向があります。
履修して綺麗にする事は良い事ですが、現在の身体を壊してしまえば、また同じ思い癖を来世まで持ち込み、過去、現在、未来の三世に渡り思い癖を引きずり兼ねません。

では、どう改善すれば良いか?

愛する人の力を借りなさい。
最愛の人に委ねなさい。
貴女は一人ではありません。

愛する人が、いないと思う人は神仏を愛し、自分を愛しなさい。
必ず今の迷宮から、脱する事が出来ます。

皆様、呉々も、御自愛下さいませ。

平等に生きる

人は、平等である。

よく、あの人は良い、私は不幸と思う人がいるが、しあわせの量は皆同じなのです。

不安な部分も皆、抱えています。
表面に出すか…出さないかだけの差なのです。

私の知っている人は、75歳女性で、夜中に掃除婦をしながら生計を立てています。
年金はありません。

彼女の人生に何があったのかは、私は詮索しない。

信仰心を持って生きる彼女はしあわせだと言う…
自分は、若い時に好き勝手な生き方をして、今があります…と彼女は笑顔で言う。

今の私には、家族も何も無い…でも働ける。
そして毎朝、朝日を観るしあわせがあると言う。
それも誰よりも先に、観る事が出来る…と言う。

彼女は、高層ビルの掃除婦をしていたのである。

今の自分に満足して生きる彼女は、ある意味で達人である。

そして家に帰り、朝食が豪華だと自慢されます。
好きな豆を挽いて入れる一杯のコーヒーは、彼女にとっての最高に贅沢な瞬間だと言う。

ある日突然の電話、彼女の知人からである。

彼女は、自分にもしもの事があった時は、先生に連絡して欲しいと頼んでいたのです。
私は、準備を整え、彼女の家に向かう…

彼女の顔は、安らかな表情である。
私は、最後の引導作法に入った。

彼女の愛した人が降りて来た…
彼女は、彼を愛した頃の姿に戻り、彼と手を取り合い霊界に還って行きました。
その姿は、しあわせに人生を全うした証しがありました。

様々な生き方、様々な人生を生き切った後、人は、最高の満足を味わいます。

人生に無駄は無い。
人生に不公平は無いのです。

明日私は、古い家のお祓いとその家にある仏壇の撥遣作法を依頼されている。
様々な人生を視る事になる事は、解っているが、私にできる事を坦々と行うのが、私の天職なのです。

慈愛

私達は、ともすれば自己愛に堕ち入り易いものですが、愛する対象が現れた時、貴方は愛を学びます。

愛する事は、様々な学びの始まりでもあるのです。
慈愛、無償の愛、利他愛、言い方は、様々ですが、根底にあるのは愛の一文字です。

妬み、嫉み、意地悪な行動は、愛を知らない可哀想な人が、愛を求め彷徨う、哀れな人間そのものなのです。

愛は求めずとも其処にあるのです。
簡単です。
眼を覚ませば良いのです。

愛の光は、貴方が目覚めた瞬間に輝きます。
この世が愛の光に満たされる時、全ての苦しみは消滅します。

私も含め、みな未熟な人間です。

愛を求め、愛を学び、愛に生きる。
様々な事象を経験し、学び、人は成長します。

今、現在の人間界は、愛に名を借りた擬似愛が横行して居ります。

本当の愛を求め、学ぶのは貴方自身の努力が必要です。

棚からぼた餅はありません。

自身の努力が愛を引き寄せます。

魂の浄化

私の様な能力を持たれる方は少なく無いと思いますが、ともすれば、自分が偉く成った様な錯覚に堕ち入り、脱線する要素を孕んで居るかも知れません。

そんな時に自己分析をすると、明らかに傲慢の芽が出て来る前兆であります。
そこで必要なのが、軌道修正なのです。
そのままにして居れば、結果は明白です。

私は美術館が好きで行きます。
そこで観る芸術作品は、私の心を浄化してくれます。

美しい物を美しいと捉えられる心は、最大の浄化力があると私は思います。
ササクレ立った心では、美しい物も美しいとは捉えられ無いのです。

素直に美しいと認められる心を育み、観ることを楽しむ時、人の心は浄化に向かいます。
しあわせを引き寄せる最大の要素は、美を愛し、認める心で御座います。
感動には、浄化作用があるのです。

来年を乗り切る、一つの鍵は、感動です。

愛する人

人は、愛により心の眼を開け、愛により自我を捨て、愛により思い遣りを学びます。

真に愛する人は、相手を気遣い、常に相手を思う。
自分より相手を優先する心と行動、美しい愛の営みです。
究極は、大我の愛を実践出来る者になる事が愛の学びなのです。

自分より相手の事を考え
自分より相手を優先し
自分より相手の心を察し行動出来たなら、今、苦しみの中にあったとしても救われます。

愛は、人を救う特効薬なのだから。
愛には、様々な形があるでしょう?
しかし、愛を学ぶ時、数々の試練が貴方に降り掛かるかも知れません。

何で僕が、私がと、葛藤する日々があるかもしれません。
様々な事象や、現象は確実に貴方を魂のレベルで向上させ磨きます。

肉体は、着物、洋服と同じです。
肉体にダメージを受けても、魂は傷つきません。

逆に魂は磨かれ、輝きを増して、本来貴方、貴女が、秘めていた魂の素晴らしい輝きに気づき、貴女は次のステージにと階段を昇り始めるでしょう。

今、傷つく貴女に、寄り添います。
私は道具として、傷つく方々のお役に立てればしあわせです。

以心伝心

皆さんは、霊能は限られた人にしかない…と思っているでしょうが、本当は誰でも持っているのです。
ただ氣づかないだけなのです。

例えば、あなたの愛する人が今何を考えているか?…解る時がありませんか?
例えば、母親が赤ちゃんが何をして欲しいか解るように、人間には、科学だけでは説明出来ない事が幾らでもあります。

私は、護摩供の時炎を自由に操りますが、妻子の事は視えないのです。
人は、利害関係が絡むことには眼が曇り、本質的な事を視誤ることが多々あります。

だから人間なのかもしれません。
それで良いのです。
完璧なものなどないのだから…

人間は、自分の能力を半分も使っていません。
では、如何したら自分の能力を引き出すことが出来るか…

訓練する事が一番の早道です。

私は、弟子に言います。
千日を持って初心とし、万日を持って極みとす。

日々の暮らしの中に自分が流され、怠惰に堕ち入る時、何もわからない暗闇の中で、もがく自分を視るでしょう。
そうならない様に、自分を磨き、自分を鍛えるのです。

必ず解ります。

自分を正しく見つめる事が出来れば、必ず芽生えます。

あなたの能力は、今、冬眠中なのです。
揺り起こすのは、あなたです。

引っ込み思案なあなた、自分を持ちなさい。
必ずあなたの力になります。

正に以心伝心、あなたの人生が輝きます。
あなたが真に目覚める事を願っております。

驕りたかぶる

行者の本分は、御仏に仕える事《御仏の道具たるべくの修行》 で御座います。

私は、過去に様々な行者を観て参りました。
そのなかで言える事は、自分は偉い凄いと思い、驕りたかぶる時、御仏の門は閉ざされます。

行者は道具で良いのです。
偉くなる必要は、ありません。
但し、へりくだる必要もありません。
要は、自然体で良いのであるのです。

私達は自然の一部であり、それ以上でもそれ以下でも無いのです。
良く、テレビや壇上から、御高説を賜わりますと、私は恥ずかしく成ります《苦笑》

人間が偉いのでは、ありません。
人間は、何かの弾みで驕りたかぶる者に変身しますが、私はあくまで道具を貫きます。

仕事も食べ物も全て、御仏からの賜わり物。
おろそかには、出来ません。
生かされている身をわきまえる時、生かされている喜びを感じられるのです。

自分が、《我》に生きる時、我に翻弄されて見失ない、迷いの森に喘ぐことに成るのです。

行者は、謙虚、理性、智慧を頂き、生かされている身を知る時、密教の門は大きく開き、そこからが本当の修行なのであるのです。
驕りたかぶる心と訣別を果たし、御仏の慈愛を感じ、受ける時、無上の喜びを知ることが出来るのです。

込める

込めるとは、精一杯生きる事であります。
精一杯生きるとは、一口で言えるほどた易い事では御座いませんが、込める事の正しい理解と智慧を持つことにより、より良い生き方を知る事に繋がります。

路に例えるならば、一直線に進む路と曲がりくねった路とは、必然的に時間差が生じるのは当たり前の事であります。
いい加減な生き方をすれば、いい加減な人生を歩み、込めた誠実な人生を歩む時、当然、到達点も異なるのです。
愛とて同じです。
うわべの愛は破綻し、込めた愛には真実が示されます。

信仰の道も然り。

金儲けの道具と考え、進む時、必ず報いと云う代償を支払うことに成るのであります。

敬い、尊び、仕える姿勢を貫く者には、御示しとお役目が、与えられる様に、ハッキリと現れます。
また、込める事により、充実感と云う學びも授かり、あなたの人生を輝かせる結果になるのです。

素晴らしい人生を望むなら、込める事を學び、生きる事をお勧め申し上げます。

離婚 失恋

何故、人は、愛した人と別れを選んだのか?
それは、愛が冷めたのでは無く、愛の電池切れ現象が原因です。

始めの頃は、お互いが求め合い、全てを分かち合い、求め合って居たのに、最近はとても冷たい。
という相談が私の元に寄せられる事が多く成りました。

一言で言えば、愛の電池切れ現象が原因なのです。

電池切れは、何故起こるか?
充電をして居ないからなのであるのです。

電池は容量が決まっていますが、愛の電池も普通は容量があるのです。
充電もせずに使って居れば、電池切れに成るのは当たり前なのです。

人間も充電が必要なのです。
《電力》では、ありません。
心の充電なのです。

心の充電は、簡単です。
真心です。
真心とは、相手を思いやる優しさから発するオーラなのです。

優しさオーラは、人類共通です。
真心から出る優しさオーラは、最高の充電氣なのです。

求めるばかり、与えるばかりが、真心では御座いません。
足るを知る心が、人の心に芽生えた時、愛は永遠に不滅です。

分け合い、分かち合い、共に生きる時、其処には愛の電池切れは存在致しません。

愛の形に、男性も女性も無いのです。
男だから、女だから、こうするのが当たり前と考える事が、愛の電池切れを早めるのです。

男だからと想う人の心の中を覗いて視ると、其処には《女性も同じ》して当たり前、して貰って当たり前と言う感情があります。

これでは、愛の電池は消耗して当たり前なのです。
その感情は、何処から来るのか?
それは、自身の傲慢さから湧き出る我儘なのです。

大切にしたい愛には、真心で向かって下さい。
皆さんのしあわせを、御祈念申し上げます。


by kongousan-akafudo | 2020-04-12 12:00 | ├愛について
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