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呪いに関する密教ブログ③

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密教僧と呪い。
非常に深い関わりのある単語です。

いたずらに怯えることなく。さりとて軽視することなく。
専門家が語る「呪い」の実態について耳を傾けてみてはいただけませんでしょうか。

記事が沢山ありますので、シリーズでお届け致します。

>>呪いに関する密教ブログ①
>>呪いに関する密教ブログ②

生霊


生霊は、人間が放つ念波の一種で必ずしも、良いものでは無い場合があります。
怨みの念が強ければ、強いほど飛ぶと言っても過言ではない。

しかしその全ては、最終的には、自分に跳ね返る事になる。
此処に事例を挙げておきます。

私がA氏に依頼を受け、霊視すると様々な怨みの念が渦巻いている事を知った。

A氏は、会社の重要人物で決定権を持つ地位にある人で、今まで様々な仕事上のトラブルを解決して来られた方だが、その手法は、いささか強引な面も有った。

相手を思う気持ちは、優しいのですが、相手は、そうは、思って居ない。
ただ自分の地位を奪った憎い奴なのである。

A氏は、強引な手法だが、その後は、相手の身が立つように奔走し助けた事は数知れない位あるのですが、怨みの念に凝り固まる者には、馬の耳に念仏である。
A氏を呪い、我が身を鬼に変え、呪う心は生霊と成りA氏に取り憑いて居るのである。

私は、余りにも数が多いので、一人一人を排除呪縛しても、埒があかないと判断し奥の手を使う事にした。
仏母孔雀明王法を使う事を決意し準備を始めた。

孔雀明王法は、悪鬼羅刹を消滅差せるには、最適である。
孔雀は、好んで毒蛇を食う事から密教では、調伏法に使われる事が多い修法である。

私が修法を始めると、段々視えて来た。
相手は、普通の人間だけでは、無かった。

金で呪いを請け負う呪法者が混じって居た。
術勝負である。

私も呪法は心得ている。
呪い返しを相手に掛けて、念を込めた瞬間、手ごたえがあった。

相手はただでは、済まないであろう。
呪い返しは、呪う方依り返す方が強いのである。

但し、素人が生齧りでやった場合、逆に危険を伴うので、勧められない。

よく質問される事だが、呪法師に依頼すれば自分は大丈夫だと思って居る人がいるがそれは、完全な誤りである。
同罪なのである。
呪法が例えば成功しても、後で何倍にも成って、自分に返って来る事を知らない人が多いのも事実である。

私が返した、呪いは、呪法師と依頼人に全て返り、ただでは、済まない。

その実態は、生々しいので書く事を控えますが、どんな事が有っても、呪いだけは手を出してはいけ無い。

罰は、人間が与えるのでは無く、神仏が与える究極の反省です。
ですから、悪事が今世でバレなくても必ず報いは、あります。

死に逃げは、出来ません。


想念と感情

人間は時として、意識と関係無く、他人に悪想念を発している場合がある。
その場合、悪想念が生霊に変化し、相手に危害を及ぼす場合がある。
以下は、その実例を私の経験から記しておきます。

生霊に変化した想念

私はその日、あるお宅に病気平癒の祈祷を頼まれ、訪れた家で家人の異変に氣づいた。
娘さんの後ろに異様な人陰が揺らめいて居る。
私は、娘さんに質問をした。

①最近食べ物の好みに、変化が無いか。
②突然の不安を感じる事が無いか。
③何でもない様な事で、怒りを感じる事が無いか。
④恐ろしい夢や、嫌な夢を最近よく見る。
⑤よく、怪我にみまわれる特に、最近は、多い。
⑥友達や同僚に言われの無い事でイジメに遭う。
⑦最近、何か集中して物事が出来無い。
⑧寝て居るのに、眠くてたまらない。
⑨他人との関わりが、面倒に思われ、一人で居る事が多くなった。
⑩自殺を考えている、または、死にたいと考えて居る。

上記の項目に複数、該当する方は要注意が必要です。
間違い無く、憑き物です。

放置すれば、悪化する事は必定。
信頼出来る法力僧の力を借りて下さい。

本題に戻る。
娘さんは、全ての質問にハイであった。
私は、加持祈祷を勧めた。

そして、寺で加持祈祷をする事に。
母親が見守る中、娘さんの祈祷開始。
不動護摩供である。

開始後、生霊を不動尊の捕縄を以って呪縛、護摩の炎に曝し消滅差せた。
相手は、意識的に飛ばしていたのだ。

祈祷後は、相手もただでは済むまい。
呪い返しである。

この様に、意識的な生霊は逆に始末が仕良いが、無意識的な生霊は、本人が解って居ない分始末が悪い。
そんな場合に私は、或る法をよく使うその法は…・

模倣を避ける為に公開はしませんが、実に効果的に働きます。

人を怨んではいけないと解って居ても、怨んでしまう人間の性。
正に煩悩。
しかし、私の記事を読んだ方々は、人を怨むのは止めましょう。

何故か?
全てはカルマ、いわゆる宿業因縁に成り、自分に全て跳ね返って来るのです!

一番、恐ろしい事である。

このカルマは、自分が氣づき解消するまで、未来永劫引きずる事に成るのです。
氣づけばまだましな方です。

氣づかずにカルマに苦しむ人がどれほど居るか、皆さんはご存知では無いでしょう。
次回は、カルマに苦しむ人の実例を挙げて、書かせていただきます。

呪い返し


人を呪わば穴二つ…のことわざがありますが、今だに呪いを掛けたがる人が居られます。

呪いは、お金を払ってやって貰っても自分に跳ね返ります。

此れは、愚僧が呪い返しをした経験談です。

私の庵に相談者が訪ねて来て、話しを聴くと毎夜、同じ時間に胸に針を刺された様な痛みに苦しんで居る…言うのである。

私は、医師に相談する事を勧めたが、もう医師の診断済みであり、結果は異常なしだそうです。
が、痛み止めの薬を飲んでも、同じ時間に痛みが走ります。

医師に相談すると、心療内科を受診して下さい。と言われたので腹が立ち、愚僧を訪ねて来られたそうである。

其れ程までに信じて頂けたら、愚僧も坊主冥利につきると言う事であります。
早速、壇を整えて八咫の鏡に映して観ると、藁人形による呪詛である。

私は、相談者に訪ねた。
貴方の髪を一本でも根元から抜いて誰かにあげましたか?

相談者も考え込み、一時の間をおいて、白髪があるので抜いてあげると言われ、一度抜いて貰った事がある。と言うのです。

その相手との関係を聞いて、納得。
簡単な呪い返しで済み、相談者には相手の家に出向いて謝罪する事を勧め、一件落着である。

お付き合いは、男女間に限らず誠意を持って行う事が良いのでは無いでしょうか。

殺人者

今迄に数々の殺人事件が発生していますが、救う事が不可能な殺人が存在するのも事実です。

それは、人を殺して見たかった!…犯人の証言。
これは、如何な霊能者も察知して阻止することは難しい。

何故か?
完全憑依…これは除霊も浄霊も難しい。

例えば、私が通りすがりに、憑依されている人を見ても何も出来ません。

本人か家族または、近親者の依頼が必要です。
それを無視して、貴方は、憑依されているから除霊します。
と私が言い、行動することは日本の法律では犯罪行為になり、出来ません。

私が完憑、完全憑依された人を尾行したとします。
それはストーカー行為にあたり、犯罪行為です。

では、何故?
完憑が、起こるのか?

警察発表はありませんが、悪魔崇拝が裏に存在します。
信じるか信じないかは、自由です。

現在、呪い屋なる商売があることも、皆さんご存知の通りです。

光と影…今に始まった事では、ありません。
昔からあります。
昔は、今ほどオープンでは無かっただけです。

お金をもらい呪う最悪な行為ですが、依頼する者も同じです。

神仏を避け、悪魔崇拝に身を委ねることは、魂を穢し、自分を否定する行為です。
しあわせと、安心、安息を、根底から拒否する行為です。

賢明な方々は、お判りですね?
天は、人の下に、人を作らず、人の上に人を作らず…です。

呪術とは何か?


密教、仏教、顕教、陰陽道、神道、呪禁道、チベット密教、その他。
祈祷をする団体、個人に於いて、祈祷と称しているが、本来は、呪術なのである。

呪術とは、呪いという悪いイメージを想像されがちだが、本来は神仏に、加護を願い、行われた仏事、神事が始まりです。

言葉とは異なもので、読み方、書き方により、捉え方も変化しがちですが、
祈祷と書けば、神聖で、呪術と書けば、暗いイメージに感じるのは、
戦後のアメリカ政府の思想統制に、影響を受けていると言っても過言ではない。

日本の明治政府が実施した、廃仏棄釈も、信仰の世界を歪曲させた、悪法の一つであります。
即ち、祈祷とは呪術であり、願望達成へのプロセスであり、僧侶、神官が行えば効くという事ではないと、愚僧は言い続けている。

三位一体こそ、願望達成を成就させる方法論であると、愚僧は信じてやまない。
呪術には様々な術が、存在しますが私利私欲を、満足させる術も、存在するのは事実です。
然るに、その術を厳修するか?しないかは、術者の倫理観と見識が、問われる正念場です。

金儲けに走るも良し、世の為人の為を考え厳修するも良し。
どちらを選ぶかは、術者の理性を問われる時です。

依頼する方に罪はありません!
例えば、依頼者が理不尽な依頼をしても、それを、無碍に断るのではなく
依頼者を正しく理性的な方法論に導き、諭すことこそ、神仏に使える者の務めと心得ます。

一沙門の気概を持って万事にあたる時、必ず神仏の御加護が働きます。
御加護を期待せず、お計らいを待つ心に、神仏は観応して下さります。

欲に走り、欲を追えば、結果は、自明の理。
全てに愛を持って進む時、必ずや閉ざされし門は、開かれます!

敬天愛人…天を敬い、人を愛する時、あなたは、全てを知る事に氣づき、神仏の慈愛を感じ、知る事になるのです。

今を生き、苦しむ方は、呪術にすがっても良いのです。
その後、愛を知っても、遅くはないのです。

今を苦しみ、絶望するよりその苦しみから、まず自分を、解放する事が先決です。
御自分の人生を、大切になさってください。


古い仏像

以前、古い仏像には手を出してはイケマセン…という記事を書きましたが、今日はその核心を書いて参ります。

仏像は、僧侶の依頼を受けて仏師が製作しますが、仏師も生計を立てる為に様々な仏像を製作します。
しかし仏像は、神仏の御姿…従って本懐が発生します。

行者の頼みを聴き、御尽力下さるのも仏像が持つ《神我》です。
正しい目的の為に御尽力下さることが仏像の本懐ですが、その逆もまた存在するのも事実です。

愚僧の記事を読んでいる方々もご存知だと思いますが、呪殺、呪い…に使われた仏像が現存するのも事実です。

先日、フリーマーケットなる会場に行った時、異様な気配を感じて近づいて見ると、仏像がズラリと並べられた露店を発見。
その展示してある一体の仏像から発せられる氣であると氣づき、愕然としました。

その仏像こそ、あらゆる呪いの本尊仏として祀られていた事を確信しました。
それも、持ち主が死亡して処理に困った遺族が、古物商に売却したのです。

この様な仏像を、もし一般の方が買い求めて自宅に飾っても被ります。
愚僧も、依頼者のない仏像を撥遣する事は出来ません。

また、仏像の本懐を遂げ、天界にお還り頂くのも依頼者が居なければ出来ません。

ましてや、売り物として並べられている前などでは不可能です。


私の記事を、読んでいる方々は絶対に、古い仏像を買わない様にして下さいね。

新しい仏像でも、魔が入り込むことがあります。

お好きな方は、力のある人物を探して封印してから、鑑賞物として楽しまれる事をお勧めします。

古い仏像やその他は、家に入れない事です。

呪い返し


私が過去に経験した中で、最も嫌な経験の一例です。


一人の女性が、私の相談室を訪ねて来られ、開口一番。
先生、私は、呪われているようで怖くて夜道も歩けないのです…と言うのです。

まあ、落ち着いて下さい…
どうしてそう思うのですか?と、聞いてみました。

彼女の家に置かれた物が、始まりでした。

それは藁人形ですが、鑑定する為に見ると、素人が見よう見真似で作った稚拙な代物でした。
しかしそれに留まらず、あらゆる物が、彼女の住む家の玄関に置かれる様になったのです。

私は霊視して、誰が置いているのか視ました。

様々な映像の中で察知しました。
彼女の事を一方的に自分の恋人だと思い込み、自分の欲望を果たせない怨みに固まる人間を。

私は彼女に、警察に相談する様に促しました。
その後、呪い返しの法を厳修。

炎が相手に向かった事を確認。

その後、彼女が住む家の隣の住人だった事が警察の捜査で判明しました。

その男は今精神を病み、病院の隔離病棟にいます。

人を呪わば穴二つ…

若い人生を病棟暮らし。

選択も決断も全ては自己責任であり、責任主体です。

愚僧は、今日も皆さんのしあわせを御祈念申し上げます。

呪い

呪いは可能である!

しかし、呪いが相手に作用した時点で同じ事が自分にも起きます。
ただ起こるわけでは無い。
何倍にも成って返って来る事を覚悟せねばならない!


当院には、呪術に関する経典はほとんど揃って居ると言っても過言ではない。
ほとんどが数百年前の経典である。

それらを熟読すれば解るのは、この法を真剣にやれば出来ると言う事である。
言わば捨て身の法である事に気づく。

何故か?
呪いの掛け方は書け無いが、呪いを進めれば、必ず一命を落とすと断言出来る。

まさに、執念の鬼と化さねば成就は無く、徒労に終わるだろう。
徒労だけでは無く、必ず憑依を呼び込みます。
ですから、一命を落とす覚悟が必要なのである。


専門家に頼んだから私は大丈夫。と考え、軽はずみに呪いの世界に足を踏み入れた場合も同じである。

怨めば怨まれ、落とせば落とされ、殺せば殺されるのである。
例外は無い。

一番良いのは、放念する事である。

放念出来ず、どうしても悔しいと言うのであれば、その人より大きな人に成り、見返してやれば良いのです。

そんな事は不可能だと言う方は、自分から逃げて居るのです。
努力もせず、良い結果など無いのです。
必ず出来ます。
但し、並大抵な事では、到達は無い。

しかし、呪いに依り思いを遂げ様とする依り、よほど現実的である。

私は、弟子たちに『進む努力もなしで成就は無い』と説いて居る。

分からない事は學び、出来無い事は努力で解決する。
それでもダメなら、神仏に祈り、努力を重ね続ける事である。
必ずや、光明を知る時が来る。

呪いの末路

私は、長年祈祷専門僧として活動を続けて居るが、どうしても救え無い案件がある。

それは、呪いの因縁《カルマ》である。
これだけは、完全に切る事は難しい。
何故ならば、始まりが一方的な怨みの念だからである。
そもそも、他人を怨むと言う事が因縁に繋がるのである。

世の中には極悪人も存在します。
しかし、呪いに依り解決しようとしても、堂々巡りだと知るべきである!
そんな事は早く忘れ《放念》、新しい人生を歩む事がしあわせの第一歩に繋がるのです。

今回は、稚拙な事は書きません。
私が扱った事例を紹介します《以下事例》

あれは、今から10年前。
ある方が、娘さんの事で相談に来られました。

優しかった娘さんが、三ヵ月前から急に豹変したのです。
まず、菜食主義だった娘さんが肉魚を生で食べ、いきなり攻撃的に成り、部屋はゴミだらけ。
悪臭が漂う中で平然としている!

それに、神社仏閣を嫌って唾を吐き、夜中には奇声を上げる。
とても正常では無い。

心療内科の受診をしたが、何の効果も無いと言う。
私には解って居た。

完全な憑依である。

これを抜くには、並大抵な事では無理である。
何故か。
本人の命が保たないのである!

過去に様々な祈祷僧が挑み、失敗し、自らは裁判、拘留の憂き目に遭った記録を参照すれば明らかである。

私は、お母さんとお父さんの気持ちに打たれました。
娘を助けたい一心で頼む父母の心。

私は、急ぎ準備に取り掛かりました。
各分野の専門家《弟子、友人》の尽力に依り、全てが揃いました。
そして、本人、御家族の前で行いました。

因縁解脱法。

私も命掛けである。

負ければ、私も連れて行かれます。
加持祈祷は長時間に及びました。

しかし、最後に御本尊様の御力に依り降伏出来ました。

些細な怨みの代償にしては、割りに合わないと思いませんか?

その後、娘さんは回復して、現在は私の弟子である。



by kongousan-akafudo | 2020-05-10 12:00 | ├密教の世界
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