
私にも、皆さんと同じように様々な過去があります。
では、何故過去があるのか?
答えは、一生懸命に生きて居るからなのです。
例えば、過去に捉われて生きる時、あなたも私も、生きて居る事が苦痛なって来ます。
何故か?
良い時だけを見つめる時、今の状況に、不満と過去への憐憫が生ずるからである。

人間に生まれてカルマ《因縁》の無い人は、唯の一人も居ません。
何故か。
カルマもなく、悟りと覚醒に満ちた人であれば、生まれる必要も無いのである。
この世は、檻の無い動物園だからである。
良い人も悪人も、全て同じ檻の中に居るのである。
これを否定出来る人が居るのなら、教えて頂きたい。
但し、いい加減な事は許しません。
過去にこんな話がある。
男は肉親の縁薄く、若い時に両親と死別。
日本各地を放浪するが、やっと美しい妻と結ばれ、しあわせの絶頂にあった。
男は一生懸命に働いた。
妻と子供に囲まれ、このしあわせが未来永劫に続くと信じて働いた。

だが、魔の時が突然襲い掛かって来た。
それは、妻と子供の死である。
男は絶望した。
何故自分なのか?
何故こんな目に会わねばならないのか。
考えても答えは出て来ない。
毎日が地獄だった!
妻との日々を追憶する時、男は居ても立っても居られ無い苦痛にのたうち、精神が崩壊して仕舞うかと思ったほどである。
その時、男は考えた。
どんな事にも、答えは存在すると。
しかし、容易には答えを見い出す事は出来無い。
妻との思い出の部屋は埃にまみれ、あの頃の面影は無い。
男の心は荒み、涙に暮れた。
しかし、男の心を支えたのは幼い頃から続けて来た武術であった。
男は、生きるとは何かを題材に選び、文武両道を胸に學んだ《一心不乱に》

そして、紆余曲折の後に教えられたのが、妻と子供からのメッセージだった。
人は生を生き、死を受け入れる時、真の學びに目覚める。
今、苦しみの中に居る人は、絶望してはいけない。
學びの中に居る事を知るべき、と私は考えます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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