私が青春時代を過ごした街、東京は浅草。
今は近代的な街だが、昭和20年代~30年代後半までは、浅草寺の境内は、露店と見世物小屋が並ぶ下町…情緒たっぷりの街だった。
花街も吉原も盛んだった。
三社祭では、ケンカ神輿が有った頃、浅草寺境内には、戦争の傷が癒えずに、彷徨う方々がちらほら居られました。
私がまだ小学生の頃。
浅草寺境内の鳩の餌売り場の前にあるベンチに一人で座る、おばあさんを見て、可哀想になり、持っていたおこずかいでパンを買い、おばあさんにあげると、大粒の涙を流し、「ありがとう…この恩は死んでも忘れない」と言うので、子供の私は「大丈夫だよ、また持ってくるからね~」と言って別れた。
何日かして、あのおばあさんの事を思い出し、浅草寺境内を探したが、おばあさんの姿は見当たらない。
鳩の餌売り場のおじさんに聞くと、寒い日の朝、ベンチに横になり死んでいたそうです。
私は、自分が約束したパンを持って行かなかった事を恥じた。
それから、数年後…私は中学生になり、休みの朝早く、空手の鍛錬の為、浅草寺境内を走っていた。
夜明け前である。
御参りの人もいない時間帯。
一人で黙々と、突き、蹴り、肘打ち、エンピの型を練習している時、優しく手を振る人影を見て、何故か?凄く懐かしい気持ちになり、近くに行くと、おばあさんが一人でにこやかに立っていた。
そして一言、「ありがとう」と言ってくれた。
私は、戸惑い境内に眼を移し、またおばあさんの方を見ると、そこには誰もいない。
私は、変だな~と思いながらも、いつもの事かと自分に言い聞かせ、家に帰り朝食。
その時母が、「今日はごはんがないから、パンを買っておいで」と言うので、近所のパン屋さんで、パンを選んでいた時に思い出したのです。
あの日、あの時も、油で揚げたコッペパンを買い、おばあさんにあげたのだと…
何故か涙が込み上げ、パン屋を飛び出し、浅草寺の境内に向かった。
その時には、御参りの人が、ちらほら…
結局、おばあさんには再会する事は、叶わなかったのです。
私も62歳になり、今では人様の御供養を賜る身になりました。
今の日本は、裕福になりましたが、まだ巷には、戦争で亡くなられた方々の浮かばれない霊を視ることがあります。
今、私達の繁栄は、あの尊い命の礎があったればこそを、忘れてはいけないのではないでしようか。
南無大師遍照金剛
蓮華合掌
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