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密教450 親の眼、子供の眼

親から見れば子供は、何時迄も子供です。
しかし、それがかえって子供の自主性を阻害している場合があります。

私は十七歳でアメリカへ単身渡り、三年の歳月を費やして帰国しました。
次の夢に向かって羽ばたこうとした時に母を亡くし、父を亡くしました。
今になって、なんて自分勝手な奴だったかと身に染みます。

アメリカに行く前の夜、父は床の中からこう言いました。
『男が一旦決めた事、何が在っても突き進め』
母は、私を駅の改札まで送りながらポツリと一言。
『空港まで行きたいが、涙が出るので行かない』

私は、そんな親の気持ちも顧みず、馬鹿の一念、アメリカでの生活に夢見て居りました《空手のインストラクター》

私は、親の事より自分を優先したのであります。
その結果、親と死に別れ、出家し僧侶になりました。
親の有り難さ、人生の厳しさ、自分の甘さを悟りました。
それから、妻をめとり、子を成し、しあわせの渦中に居る時、子を亡くし、妻を亡くしたのです。

絶望の中で、生きるとは?を考え葛藤し、霊的真理を學び、現在があります。

今は、親、子供の眼を學び、住職として生きております。
諸行無常、形あるものは、いつかは滅し無に帰ります。

自身の立場に固執し全てを観る時、誤りには氣づきません。

親の眼も大切です。しかし、親のエゴで子供の将来を考えてはいけません。

人間には、言語と理性があります。
理性を持って俯瞰する時、必ず答えは見えて来ます。

親は、子供を見守るボランティア。
子供は感謝し、何時の日かボランティアになるのです。

今の立場だけで言うのではなく、先ずは子供の立場を親は考え、子供は親の恩の有り難さを感じ知る時、最良の選択と道は開かれます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2017-02-13 06:00 | 赤不動明王院通信
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