私の天職は密教僧ですが、適職も持っております。
適職はあくまで生活の糧であり、それ以上でも無ければそれ以下でも無い、
但しどんな適職であろうと、疎かにした事は無い。
以前、仕事上のコンクールがあり、冷やかしで出場させられた大会で優勝してしまった。
私は、仕事場では、必要以上の事は喋らない。
工場の片隅で、黙々と与えられた仕事をこなすだけの変な爺である。
若い者に馬鹿にされても、黙っている。
そして、コンクールの日がやって来た。
ゼッケンを付け、いざ競技開始。
終わった時、私は優勝していた。
私の会社の人間は、全員呆気に取られていた。
馬鹿げた事である。
笑い者にしようとした爺に、全員が敗退。
誠に愚かな事である。
私が適職を続けるには、訳がある。
密教僧としても食べては行けるが、最大の訳は依存である。
私を頼り、遠方より祈祷を受けに来る方々に、過分な負担を掛けたく無いのです。
私は祈祷料の請求をし無い。
依頼者の気持ちに任せて居るが、それで良いのだ。
私は、適職で食べて行ける。
天職を穢す必要は無い。
ところが、一度来た方々は必ず長い付き合いに成って居る。
私の弟子も、元は参拝者の一人だったのです。
こんな、爺を頼り託してくれた加持祈祷。
私は、全身全霊を掛けて祈祷する毎日です。
皆さんも、仕事をお持ちだと思いますが、適職はあくまでも生活の糧。
命を削る仕事は、お辞めなさい。
不幸の種にしか成りません。
適職は、あくまで適職。
命を削るほどの価値などありません。
適職は、家族を養い、自分も生きる糧と心得えておやりなさい。
命を削る仕事は、自殺です。
貴女は、自殺する為にこの世に生まれたのではありません。
赤不動院、院主永作優三輝
南無大師遍照金剛
金剛合掌