人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 密教393 私だけの秘仏 密教391 自由と不自由 >>

密教392 悲しい葬儀

生あるものは、何時の日か必ず滅する時を迎えます。

その時に一番大切なのが無欲である事。

しかし、どんな人間にも、大なり小なり欲はある。
その欲が、死に際して大きな隔たりに成る事は少なく無い。

生きている時は死んだら終わりと考えていた人が、自分が死んで初めて死を知る事に成るのである。

それは、何故か?
意識である。
ほとんどの人が、理解していないのが意識である。

意識は、脳が発しているのでは無いのです。
脳が発しているのなら、霊体に意思も意識も無いばずである。

しかし、様々な霊的現象は頻繁に起きている。
私の元に来た葬儀依頼でも、故人は意識のある事に戸惑い、パニックに成って居る事が多々あり、私は故人に語りかけます。

『あなたは亡くなりました。家族と別れ、霊界に帰る時が来たのです。執着を捨て、穏やかにお帰り下さい。』

そして、様々な問答を繰り返し、故人は納得して帰るのである,。
葬儀は、亡くなられた方に死を理解して頂く為のセレモニーなのである。

物質的に処理出来るのは、ゴミだけである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2016-12-07 06:00 | 赤不動明王院通信
<< 密教393 私だけの秘仏 密教391 自由と不自由 >>