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密教391 自由と不自由

本当の意味での自由には、責任が伴います。
責任をとれない自由など、存在しません。

自由を語るには、ルールを守り、理性的責任が必要です。
自分の好きな様に生きて、困ったから助けてくれは、正に責任回避行動に他ならない。
自由を謳歌するには、それに見合う責任が必要である。

学校の教師になり、子供達を教育し育成する立場を人間が、自身の保身の為に言った事を歪曲する行為は、正に厚顔無恥に他ならない行為である。

生徒に〇〇菌、馬鹿の極みである。
言う事も自由の証しだが、言い逃れする行為は醜いとしか言えない。

自由の本質を知らず無駄に生きる時、無知蒙昧がまかり通る時代に成り下がり、人間は人間としての尊厳を失うのである。
理性的な人間には、お解り頂けると思うが、言葉にも自由があり、また責任があるのです。

この考え方を身につけ、より良い生き方を選択するのも自由なのである。
全ての自由には、必ず責任が伴います。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2016-12-06 06:00 | 赤不動明王院通信
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