よく聞く言葉。
〇〇のパワースポットに行ったが何も感じなかった。
〇〇のパワースポットは、変な感じだった。
〇〇のパワースポットは、凄かった。
この言葉を総合すると、全てがあやふやな表現であることに氣づくはずである。
また、パワースポットと呼ばれる所は、それなりの作用はありますが、あやふやな場合はまだ良いです。
しかし、はっきりと感じ取れる場合は要注意です。
あちらの機嫌の良い時なら良いが、機嫌が悪い場合もある事を、誰も知ろうとしない。
そのような現状では、あまりパワースポットなどと言ってはしゃぐものではありません。
当たり前の事ですが、作用があれば反作用もある事を忘れてはいけません。
全てが、自分の都合の良い様にはいかない現実を知るべきである。
私は、よく皆に注意する事があります。
神社仏閣では、たとえ石一つでも持って帰ってはいけない、と。
パワースポットも同じです。
中には、記念に名前などを書いたり傷付けたりする者がいるが、その時は何も無くても、覚悟しておく事である。
それだけでは終わらない事を、以前ブログにも書きました。
聖域を穢した者が、どんな末路を辿るか?
本人が体験した時は、手遅れになることがほとんどです。
私達は、本来、皆、霊的存在である事を自覚する時、全ての謎が謎では無い事を知るであろう。
肉の思考は、所詮、物質的価値観に堕ち入り、真実を見失うのである。
心の眼を開け、自身が知る時、本当のしあわせを実感するのである。
慈愛は、心の眼。
欲は、肉の眼である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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