人の心は移ろいやすいものですが、何時の時代も不変なのが、真実である。
私は子供の頃から様々な体験を重ねて参りましたが、その経験で言える事は、
『自分の見たものを信じられ無く成った時、人は虚偽に走る』ということです。
其れは何故か? 答えは簡単です。怠惰に身を任せたからである。
楽に學べることなど、存在しないのです。
以下は私の体験談です。
或る一家からの依頼を受け、その家に伝わる祠の浄化供養をした時の話です。
一家は、或る霊障に長年苦しんでおられました。ラップ《騒霊現象》、物品紛失、数々の病や怪我、人間関係、家族の不協和など、
様々な悩み、苦しみの渦中にありました。
私は家族に『古くからお祀りして居るものは無いか』と尋ねました。
すると、家から離れたところに祠があると言うのである。
《先祖が自身の土地に石造りの祠を立て、お祀りして居るとの事》
そして、家族に案内を受け、その土地に赴いたところ、鉄柵で囲まれた中に祠があったのです。
懇ろに供養し、その日は終わりました。
そして、全ては解消したが、その後しばらくして一家から電話があり
『例の祠のある土地を売りたいので、どうにかならないか』と言うのである。
『しばらく供養をしてからなら良いが、今はお止めに成った方が良い』と伝えると
『もう霊障も無いので大丈夫』と云う。
私が『あれほど苦しんだり、霊現象を見て来られて判っているのではないですか』と云うと
『あれは目の錯覚だった』と言われるので、あなた方はご自分で見たものも見てい居ないと云うのであれば、ご自由にと申し上げました。
その後、土地は売却され、今ではマンションが建って居る。
そして、一家は離散しました。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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