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密教374 自覚する者

人間には、脳で考える者、心で考える者、二通りに分かれる傾向がある。

例えば、自分は大丈夫。と、考える人は脳、つまり肉の思考である。
肉体は機械と同じで、長期的に活動すれば、各器官は老朽化し、動きも思考も緩慢に成るのは当然です。

しかし、人間は機械と違い、理性がある。

理性とは、何か?
理性とは、心《魂》である。

長年、自分と向き合い、學びを深めれば、当然、理性的な行動を優先するようになり、相手の立場を考えて行動するようになります。
その反対に、自分勝手に生きて来た者は、全てが自分本意な思考パターンに成りやすいのが現実である。

私も齢60を越え、身体も老朽化し、肉体的能力は著しく低下しています。
昨今の、高齢者による交通事故が急増しているのは肉体的能力の低下が原因だが、自覚の無さが大きな要因である。

若い時は簡単に飛べたハードルが、高齢者になれば僅かな段差でもつまづく現実を自覚すれば、能力の低下が引き起こす危険を自覚出来るはずです。

では、何故、自覚する者と自覚しない者がいるか?
それは、肉体年齢と魂の年齢の違いです。

人間は、当たり前に誰でも歳を重ねていきますが、それは、単に肉体年齢を重ねただけである。
心を養い、學び、精進を怠り、自我に生きる時、心の成長は停止し、傲慢に成る。
常に自身と向き合い、俯瞰し、自己を客観視する時、肉体の衰えを自覚し、無謀な行動は控え、理性的に行動するのである。

今、自分は、若いから大丈夫。と考える思考も、肉体的思考と自覚するべきである。
魂の成長は、怠惰の中には、存在しないのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2016-11-15 06:00 | 赤不動明王院通信
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