前項でも、お話致しましたが、人形は依代に成り易いのも事実です。
以下は、私の経験談です。
世界中に、人形にまつわる話しは沢山ありますが、私の経験した事例は哀れで切ないお話です。
あるお宅から依頼を受けて、そのお宅に伺いました。
そのお宅では、半年前に幼いお嬢さんを病気で亡くされ、悲しみの中にいられました。
依頼は、お嬢さんの遺品である人形の事でした。
お嬢さんが大切にしていた人形を捨てることも出来ず、今日まで生前と同じ場所に置いてあるそうです。
しかし、この人形が動くと言うのである。
《家族しか解らない現象は、古今東西、様々な事例が報告されて居る》
まずは寺に帰って支度が必要と判断し、必要な法具その他を整えて身を浄め、またお宅に伺いました。
壇を組み、いよいよ開始である。
ご家族全員が固唾を飲んで見守る中、厳粛に始めました。
護摩の炎が最高潮をなったのを見計らい、例の人形を炎の中に入れ、印を結び、真言を唱え念じた。
その瞬間、人形は、海老反りになり、断末魔の声を発した。
《家族の皆さんも、全員がこの声を聴いている》
解説
幼い自分の子供が亡くなれば、誰でも悲しみの坩堝を堕ちるが、悲しみの余り子供の名前を呼び続けたり、泣き暮らすことは、亡き子供の成仏を阻害する結果になるのです。
可愛ければ可愛いほど、子供の成仏を願うことが先決であります。
人形は、依代。
子供の霊は人形の中に入り、親の悲しみを観て、自分が死んだからいけないんだと考え、苦しみます。
そして、人形に子供の霊が入れる事は、浮遊霊も入れるのです。
浮遊霊が入り、子供の霊では出来ない悪事を働きます。
そうなって一番可哀想なのは、子供の霊体なのです。
そうさせない為にも、極力、遺品は、四十九日が終わった時点で綺麗に片付け、良い思い出に変える努力が必要と、私は提言しているのです。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-27025197"
hx-vals='{"url":"https:\/\/akafudoumyououin.exblog.jp\/27025197\/","__csrf_value":"95f67ab56878faab24d2aeabb4537323e2542fd62a094fde4923971ba0c65b7b4cd86fc74d243f3ccf85a615a2b4618b956f8ca46abaa0887096a0f2f22c46dc"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">