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密教320 頂きます 御馳走様

何処の家庭でも聞かれる言葉ですが、本当の意味を知る人は少ない様に思います。

私達人間は、他の命により生かされている事を忘れがちですね。

例えば、お金を払っているのだから。
商売だから。
全て、誤りである。
植物にも動物にも命があり、その命を私達は戴いている事を忘れてはいけません。

《 頂きます》は、命を戴いている。
《 御馳走様 》は、命に有難う御座います。を込めて合掌。
私は若い頃、両親と死に別れ、一人旅に出ました。

今からお話しする事は、その頃の事です。

冬の寒さが増し、雪が降る中を法衣を纏い、草鞋を履き《素足》父母の菩提を弔う為、托鉢の旅に出ました。
ある県を旅して居た時、雪が強く、吹雪の中で雨宿りの如く、一件の家の軒下をお借りしていました。
暫くすると、中からおばあさんが声を掛けてくれました。

『 お坊さん、其処では寒いので、中に入って火にあたりなさい。』《優しい母の声》

私は御心に感謝し、家の中に入れて頂きました。
冷えた身体を暖め、優しかった母を思い出し、胸が熱くなり涙が。

その時、おばあさんは一言。
『苦労されたのですね』と言い、囲炉裏の鍋の中から大根の煮物を御馳走して下さいました。

私は、有り難さに涙が抑えられません。
雪は吹雪に変わり、嵐のようになり、私は大根の煮物を頂戴し、その家を後にしようとした時、おばあさんは仰いました。

『こんな汚い家で良ければ、泊まっておいでなさい』
『 婆の一人暮らし。遠慮は、要りません』

私は、その優しくも暖かい言葉に甘えさせて頂きました。

そして、ゆうげ《夕食》まで頂戴し、雪の夜おばあさんと語りました。

おばあさんは、ご主人を亡くされ一人暮らし。
子供さんは、戦死、一人ぼっちでいる。
僅かな畑を耕し、生計を立てているとの事でした。

朝を迎え、私は次の地に向かう為支度をして居ると、おばあさんが、『 粗末な食事ですまないが、食べて行きなさい』と。

旅の再開。
私は、おばあさんに教わりました。
会うは、別れの始まり。
私は、旅の途中で、何度も繰り返し考えました。

正に、一期一会とは、この一夜の事であったと。
人生は、學びの旅。

様々な人に助けられ、生きられることの喜び。
一人の力など、知れた事。
助け助けられ、生きる命。
私は、今でも、旅先で頂いた御恩を忘れられません。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2016-09-22 06:00 | 赤不動明王院通信
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