密教の加持祈祷は、念波、念力に依るところが大である。
私が知る老師、大徳は、御歳九十を数えてもいささかにも氣力の衰えを見せません。
毘沙門天護摩を修する〇〇大徳は、正に達人でおわせます。
御歳九十を数えるも、尚、素晴らしい御護摩を修されておられます。
また、尼僧である大徳は、凄まじい気魄と法力で様々な秘法を修されておられます。
尼僧で、世にも出ずひたすら法に励み、精進潔斎する僧侶を視る時、私は、私の持つ法を全て伝授しても良いと考えます。
まだまだ、僧侶の世界は男性社会。
なまじの事では、大徳とあがめられる事は難しい社会なのです。
しかし、念波、念力に掛けては、男女の区別は存在しません。
僧侶の位は、念波、念力には関係ありません。
より強い念波、念力があればこそ、加持祈祷を成就に導くことが出来るのです。
口先だけの事は所詮、児戯に等しいのである。
成就に導いてこそ、密教の加持祈祷です。
私の寺は、男女の区別なく教え鍛えます。
但し、弱音を吐くこと、怠惰を許しません。
私には、過去に直弟子が数名おりますが、今は皆、密教僧の本分を護り全国におります。
一兆事あらば、身を捨て《命》事にあたる、精鋭であります。
男女の力の差など、知れたものである。
必要なのは、覚悟と、弛まない修行であります。
最早、男女の境は無い。と、私は考えております。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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