人生の中で食べる行為をしない人は、皆無に等しいですが
本当の意味で美味を味わう事は、少ない《美食ではない》と考えます。
女性の立場に立って考えてみてください。
料理を作るのは当たり前、料理が出来て当然の様に思われているのではないでしょうか?
私は僧侶。料理も当たり前にこなし、全ての家事もこなせます。
私は貧しい家に生まれ育ちましたが、心に残る料理を持って居ります。
小麦粉を水で溶き、団子のようにして作った粗末な料理ですが、母が作ってくれた《すいとん》未だに忘れられません。
そんな思い出は、皆さんお持ちではないでしょうか。
今から考えれば、何故、粗末な料理が美味しかったのか?
貧困でも空腹でもありません。其処には、心の調味料が加えられていたのです。
粗末な材料で子供達に少しでも美味しいものを食べさせたいと思う母の調味料が入っていたのです。
主婦も料理人も変わりありません。
食べる人に、美味しいものを食べて貰いたいと心を込めて作る時其処には、愛があります。
例え一流の料理人が作った料理でも、ただ「ながら的」に作った料理には、何の深みも感じません。
其処にあるのは、虚構の美食。
心を打つ感動は無いでしょう。
また、食する側にも問題があります。美食、飽食を繰り返した結果、心で食する事を出来無くなっているのである。
その結果、感謝も感動も忘却し、ギスギスした人生を送る事に成って居ると考えます。
今、必要なのは、心の調味料ではないでしょうか。
料理に限らず、心の調味料を理解した時、あなたの人生は一変します。
素直に思い出してください。寒さの中で食べたあの味噌汁の味、喉の渇きを癒す為に飲んだ石清水、全て、愛があります。
石清水には自然の愛がある様に、其れらに愛を見だすのは自分であると氣づくはずです。
殺伐とした心には修羅が宿り、卑しい心には餓鬼が宿り愛無き心には鬼畜が宿ります。
全ては、与える者、受ける者の心次第で変わります。
純真な心の時代を思い出して、愛を真から理解し得た時、あなたの人生は変えられます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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