私は、唐手、剣術、古武術を教えて来た経験で言える事は、
誰しも完成された、型を見て憧れ自分もそうありたいと思い入門します。
そして、先輩の様に防具をつけ、先輩の様に道具を操り、カッコ良くやりたいと想うのは、当然である。
昨今は、入門時に道着、防具、その他、もろもろを購入するのが、通例の様であるが、
私が指導して来た道場では、反対に買うことを良しとし無い。
指導を徹底して参りました。
其れは、身体が出来て居ない状態で、重い防具や道着を付ければ、防具や道着の《不慣れ》重圧に負ける怖れがあるからである。
これは、全てに通じる事と私は、考えます。
信仰の道も同じ。形に捉われ、形だけに固執すれば、本質を見失い真を知らない状態になります。
全ての修行の内に於いて、心と身体は、両輪であり、片輪では、失速するのは必定。
また、両輪が調和せずには、真っ直ぐに進む事も叶いません。
夫婦も然り片方だけが、前に出ても調和を欠きます。
夫婦相和して、始めて調和あり。
調和あるところに不破は、為し。
別離は、簡単である。嫌なら辞める自由は、誰にでもあるのです。
しかし、一度壊した縁は、取り戻すのに当初の何倍もの努力と忍耐、寛容が要求されます。
全ては、調和にあり。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-27006731"
hx-vals='{"url":"https:\/\/akafudoumyououin.exblog.jp\/27006731\/","__csrf_value":"7ef887b45472243f80a41912f24e8c10f24fad02961eb6d41338e7129b9926002f11818ea4e642d521175de5e946d038bec670e0826cc98b582f923b905b97ce"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">