修行の為に行脚をして居た時に知り合った、一人の雲水の悲しい物語です。
その日は、雪の降る寒い日でした。
私は、小屋で暖を取っておりました。
其処に、一人の雲水が一夜の宿を求めて来ました。
私は快諾して、共に暖を取り、取り留めの無い話をして寒い夜を過ごし、僅かな食料を分け合い語り合いました。
意気投合し、互いの身の上話になりました。
何故僧侶に成ったか、互いに話しました。
私は二十代、雲水さんは六十代後半、戦争経験者である。
僧侶に成るきっかけは、終戦を迎え、帰省し、母の最後を知った時だそうです。
雲水さんは召集令状を受け、陸軍に配属され外地に居ました。
戦局は悪化の一途を辿り、雲水さんも自らの死を覚悟しておりました。
雲水さんの心残りは、年老いた母の事である。
雲水さんは、日本の母に向かって、祈りました。
《お母さん、親不幸な息子を許してください》
最後の決戦が始まり、雲水さんは銃弾を受け、生死の境を彷徨っておりました。
その頃、日本に居るお母さんは息子の無事を祈り、ひたすらに拝んでおりました。
突然、お母さんは『私が代わりに成る。』
と言って、周りの者が止めるのも振り切り、崖から飛び降りたのです。
そして、終戦を迎えました。
雲水さんは、運良く助かりました。
帰国後、直ぐに懐かしい郷里に帰り、優しい母に会いたい一心で家路を急ぎました。
そして、其処で見たものは母の位牌でした。
雲水さんは、母一人子一人の家庭に育ち、かけがえの無い肉親は、お母さんだけだったのです。
《お父さんは、先の戦争で戦死》
雲水さんは、村の人にお母さんの最後を聴き、菩提を弔う為に出家し、その後雲水と成り、諸国行脚をしてお母さんの菩提を弔って居るのです。
真に哀れで不思議な話ですが、心霊科学の分野では不思議では無いのです。
真に相手を思い念ずる時、相手の状況が、まるで映像を見る様に視ることがあります。
私もその経験者の一人であります。
私と雲水さんは互いの身の上話をして過ごし、次の日の早朝、互いの修行の為別れました。
願わくば、霊界で親子が巡り会い、今世で叶わぬ孝行が成ります様に。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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