世界には、様々な教えが存在し、修行法も様々に存在しますが、共通の認識は、神仏を尊ぶ文化である。
歪められ歪曲される時、其処には、神仏は、存在し無い。
神仏は、活かしても殺す行為を否定します。
また、我だけを信じよ、我だけが神である、などとは、言わない。
我だけを信じ崇めよと言う神仏は低級霊に思考を奪われた人間だけである。
人類の歴史上最も、残虐で、愚かな出来事は、宗教戦争である。
どの宗教を信じ様が、どの神仏を信じ様が全て自由である。
他の人が信じるものを誹謗中傷する必要も暇も私には無い。
私は、自分が信じる道を行くだけである。
私の寺は、単立寺院でありどんな制約も受け無い。
また、信徒、信者の勧誘もして居ない。
来る者は拒まず、去る者は追わずが基本理念である。
人の欲は、食う食える、稼ぐ儲かるに始まるが、食にこだわらず、可もなく不可もなしに生きる時、欲など、どうでも良く成る。
自分が居ることに氣づくで有ろう。
食にこだわろうと衣にこだわろうと、住にこだわろうと、消費する量などたかが知れたものである。
象でも自分の量を知っている、どんな動物でも自分の量を超えて欲することは、無い。
本当のしあわせとは、量を知り、わきまえ満足を知る事にある。
餓鬼に堕ちた亡者には、未来永劫足るを知るまで、苦しみが続くのである。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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