私は、東京で生まれ育った浅草の街が大好きで、浅草寺の境内は私も遊び場であった。
昭和三十年代は、未だ貧しさに溢れていた。
戦傷兵《傷痍軍人》が片足で街角に立ちハーモニカを吹き、僅かなお金を貰い、その日を生きていた。
浅草寺の境内には、乞食《ホームレス》が溢れて居りました。
その中でも、端に一人で静かに座って居る老婆が何故か気になりパンを買って老婆に声をかけパンを差し出しました。
老婆は、喜びましたが、食べません。子供だった私は、訳を聴きました、老婆は、ゆっくり話してくれました。
坊ちゃんありがとう、このパンは後で三人で食べるよ《老婆の周りには、誰も居ない》。
おばあちゃん周りには、誰も居ないよ、と言うと、息子とお父さんは、此処に居るよと言い、防空頭巾で作った袋を出して言いました。
その袋の中身は、息子さんとご主人の遺骨が入って居たのです。
おばあちゃんは、語りました。あの戦争は、地獄だった、多くの罪も無い人が虫ケラのように殺され
老婆の息子さんとご主人は、老婆の目の前で、焼夷弾の直撃を受け
息子さんをかばいお父さんも黒焦げに成り、果てました。
お婆さんは、言いました。自分で死ぬのは、簡単な事。
死んだ家族の分まで自分は、一緒に生きると。
どんなに恥ずかしくても、雨に濡れ、泥にまみれて道端で寝ても、何時も三人で居られる。
いつか観音さまが迎えに来てくれるまで、三人で生きて行くとあの日、決めたんだよと言う老婆の眼には、涙が溢れて居りました。
生きるとは、ある意味、過酷ですしかし、生きる事に意味があるのです。
この世に生まれ、滅せぬものは、ありません。
なれば滅するその日まで、精一杯に生きる事こそ、勤めであり、御役目だと私は、信じます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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