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密教587 交霊会


これは、数年前にある交霊会に招かれ出席した時の模様である。

ある著名な霊能者の交霊会に招かれ、壇上に上がり、まずは、自己紹介から始まり、観客《研究者》に注意事項を伝え開始された。

始まって間もなく親子の霊が降りて来ました《霊媒に憑依》涙で始まり号泣する霊をなだめ、わけを聴きました。
親子《母子》は、原爆で姿もとどめること無く焼き殺されたのである。

名前は〇〇〇さんと言われた時、観客席の中から一人の方が挙手され、自分の身内ですと言われるのである。

会場の係の者に、その方の住所、氏名、亡くなられた方の情報を記載して頂き壇上に上がって頂きました。
《その間も霊との交霊は、続けられていた》
親子の霊は、未だ浮かばれずに、炎から逃げ続けていると言うのである。

人間は、普通に亡くなられた時はある意味、覚悟をして居るのですが、
一瞬のうちに肉体を失い亡くなられた場合、意識だけが残り理解出来ない事が多々あります。

其処で出席者全員が《壇上の私を含め数名が、念を凝らし、観念し説得》親子の霊も落ち着き、ゆっくり話し始めました。
私達は、ゆっくりと聴き、親子の霊が言い終えた時、御仏に委ねました。
その時の光景は、正に荘厳そのものでした。

親類の方に家に帰ったら、懇ろに供養するようにお願いし、その日の交霊会は、終了しました。
それから数日後、私の家に手紙が届きました、宛名を見て直ぐに分かりました。
あの親子の親類の方でした、あれから郷里の菩提寺で親類一同が集まり、供養されたそうです。
墓も新しくし、親子の名前を刻み家では、位牌を作り仏壇に安置し毎日、供養を欠かさない様に勤めて居るそうです。

昨今、人間関係が希薄に成って居ますが、亡くなられた方の菩提を伴えるのは、生きて居る者の勤めであり、しあわせでもあるのです。
供養すれば、供養され、しなければ、され無いのが本当の意味での法則なのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2017-07-08 06:00 | 赤不動明王院通信
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