昨今、約束の意味が希薄に成って来ている事は、皆さんもお感じになっていると思います。
以下は、私の体験談である。
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私が生まれたのは、戦後八年を迎えた頃である。
私の家の近くに孤児院があり、そこの子と友達だった私は、見るに堪えない現実を見てしまった。
そこの園長は鬼畜だった《その後逮捕》
孤児院は仮の姿、正に地獄。
学校から帰って来た子供達を街に立たせ、お金を恵んで貰う乞食に始まり
靴磨きや様々な仕事を強要し、夜には稼ぎの少ない子供達は園長の手でリンチが繰り返され
泣き叫ぶ子供の声が外部に漏れないように、子供達に円陣を組ませ歌わせ泣き声を消していた。
極め付けは、リンチで死んだ子供達を床下に埋めて居た。
警察の調べでは、殺した子供達は家出として届け出ていた。
私は、この園の子供と友達だったが、事件の後、子供達は他の園に保護され皆、バラバラだった。
私は、友達と約束をした。
中学校を卒業したら、またここで会う約束をして、友達は保護されて行った。
そして中学卒業、私は約束を果たす為にあの場所に急いだ。
一日目、二日目、三日目、彼は現れなかった。
私は諦めず、四日目、五日目と通い、七日目の夜に彼は現れた。
私は嬉しさのあまり一人で喋り、彼は黙って聞いて居た。
時は過ぎ、家にに帰らなくてはいけないと目を逸らした時、彼の姿はなくなっていた。
探してみると、お寺の境内に居た私は、走って後を追ったが
墓の方に彼は入って行き、私は彼を見失った。
翌日の昼間どうしても気になり、彼を見失った墓に行ってみると初老の夫婦が墓参りをしていた。
そして、何気なく墓石を見ると彼と同じ名前が彫られていた。
私は夫婦に尋ねた。
名前の息子さんは、と尋ねると病気で亡くなったと言い、お母さんは泣いていた。
私が友達の話しをすると、二人ともハッとした表情になり、話してくれました。
孤児院が閉鎖された時、子供が居ないご夫婦は、彼を養子に迎え
我が子同然に育て、彼も父さん、母さんと慕っていたそうである。
私との約束もご夫婦は知っていた。
私が昨日の話しをすると涙を流して、息子は約束を守りたかったのだね、と
夫婦で涙に暮れていた。
約束が希薄に成って来た現代、私は彼の成仏を願い読経して居ます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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