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密教604 御縁日

今日《二十八日》は、御本尊の御縁日です。


振り返れば数十年前の今日、愛知県の山間部でテントを張って修行に励んでおりました。

夏の真っ盛りでしたが夜は寒く、寒さで眼を覚ました私は、空を見上げ満天の星空を眺めて想いました。
自分は何を探して居るのか、答えは有るのか自問自答を繰り返して居りました。

夜が明け滝場は清々しく、その日の滝行を行いテントに戻り朝食、
其処に一人の御婦人がおいでになり
《行者様に観て頂きたい事があります、ご足労ですが後ほどおいで下さいますかと頼まれました》
言葉通りお宅に伺い、相談を受けました。

その家では、代々、長男が育た無い《死》との事、私は一心込めて観ました。

その頃の私は、若かったので観えた事を全て話してしまうところがあり、困惑させてしまう事もあり。
今は老齢、やんわりとお話しします。

話しが終り相談者家族が言われた言葉が、
「何故そこまで我が家の事情に詳しいのですか《全て正解》驚きました。」

ご家族も納得され、私も肩の荷が降りた想いでした。
テントに帰ろうとすると、他にも観て貰いたい人が居るので明日も来て頂きたいと言われ、
翌日、行を終えてから約束通り、伺いました。

すると、数名の方々が待っておいでになりました。
お茶を頂き、相談を始めると相談では無く、詰問である。
何故、家族の事を何から何まで知って居たのか?答えて欲しいと云うので、
私は一言、
「お疑いならそれでも構いません。
しかし、家族しか知らない事を何故、私が当てられたか、あなた方に説明する必要はありません。
私は唯の修行僧。
ただしこの土地には、二度と再び来ることはありません。」と言い、
テントをたたみ帰り支度をして居る時、聞こえた声が《汝と共に行こう》の言葉でした。
始めは分からなかったが今は、毎日、聞こえる声に成りました。
せめぎ合い人の頭は、理解出来ない事を拒否しようとします。
それが良いか否かは、後で解ること。
私は、私を理解し無い人を憎む気持ちも何も無い。
そっと手を離す《手放す》だけである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優

by kongousan-akafudo | 2017-07-30 06:00 | 赤不動明王院通信
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