様々な事件や疑惑と言った、行動は、全て、心の幼稚さ《魂の低さ》が原因である。
相手が、立場的に反撃、出来ない事を知った上での暴力。
都民の税金を私的に、摘まみ食いする者。
警察官でありながら、犯罪に手を染める者。
会社内で部下をイジメ、自己顕示欲を満たそうとする者。
正に、餓鬼道の極みである。
では、何故、餓鬼道に走るか?
魂年齢が低いのである。
人間には、肉体年齢と魂年齢があります。
現界で肉体年齢を重ねても、唯、我欲に生きた者の魂年齢が上昇する訳では無い。
例えば、年齢が六十を過ぎても、現界で学歴を重ねても、真理を探究せず、眼前の欲に翻弄されて居ては、魂年齢を重ねる事は難しい。
従って、高学歴と高人格は比例しないのである。
例え、読み書きが出来無くとも、重い肉体的差が有ったとしても、魂年齢にはなんら比例するものでは無い。
また、生まれた家が名家であろうと、極貧の家であろうと、魂の年齢には関係が無い。
俯瞰して考えてみれば、極貧の家に生まれて苦労を重ねた方が、魂の年齢を向上させるには良いとも言えるだろう。
人間、物質に囲まれて生きる時、それが当たり前の様に錯覚し、怠惰に成る。
また、恵まれた人間関係に在る時は、優しさを忘れ、甘えがちに成り易いものである。
人間は怠惰に成り易く、學ぶ事を怠り易いものである。
自身を律し、真理を探究する時、紛い物ではない真のしあわせが其処にある事も知らず、もがくのである。
他は、決して自分の思い通りに動くものでは無い。
その逆の方が多いと言えよう。
そんな時には、見なければ良いのです。
手離せば良い。
其れでもダメな時は、一人、旅に出るが良い。
それもダメ、これもダメなら、一人、深山幽谷に入り、己れを見つめる事である。
私達は、大小の差は、有ったとしても、現界に學びを求めて、遣って来た、旅人なのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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