愛の裏返しは、無関心と云う言葉の通り、関心を持ち関わる事は大変な力が必要です。
が、無関心からは何も生まれ無いのも事実であります。
言い変えれば、自身も無関心に成って行くのであります。
良い事だけに関わりたい。
嫌な事には関わりたく無い。
それはあり得ません。
嫌な事を克服しようとする事が學びであり、魂を磨く事に繋がるのです。
もし全てが自分の思い描く様になれば、人生に學びは必要ありませんが、
同時に達成感をも失うことに成ります。
一般の方々は死を嫌うでしょう。
しかし、死から逃れることは誰にも出来ないのです。
何故、死を嫌い、死を怖れるのか?
死とは何かを理解しようとし無いから、闇雲に怖れ、嫌うのです。
私は、現代風に言えば臨死体験を二度経験して居ります。
また、幽体離脱も数多く体験して居ります。
内容は書きませんが、私の今迄の経験を知る方々は、皆さん納得して居られます。
誰にも関わる事無く生きる事は不可能です。
例えばスーパーで買い物をしても、生産者、販売者に関わって居るのです。
仕事も同じです。
社長、上司、同僚、関わりの無い事象など無いのです。
その逆に、自分が好きな人だけにしか関わら無い。と云う人が居たならば、可哀想な人です。
何故か?
自分から関わりたく無いと考えれば、相手も同じことを考えていると思って下さい。
若い内はまだ良いですが、高齢に成った時、上記の考え方の方は悲惨を味わうでしょう。
しかし、全て自分が蒔いた種、蒔いた種は自分が刈るしか無いのです。
必要以上に濃密に関わる事は無いでしょう。
人間関係を円滑にする事は、協調性、感性、理性、その他、人間にとって必要な學びを得る授業なのです。
心の傷を放念して忘却する時、あなたの中に學びの種が芽生えます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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