修行を重ねて分院の祭主と成り、生涯信仰に生きると決めた一人の女性は、男女の垣根を越えて精進して行くで在ろう。
口で私も俺もと言っても、中々続けられるものでは無い事を私は知って居る。
何故か?
信仰家で生き抜く事は容易い事では無いからである。
様々な迫害にも屈せず、貫き通すには不屈の精神が必要であるが、生半可な事では無い。
私の経験で言えば、ましてや女の身、容易い事では無い事は言うまでも無い。
が、私が知る真言宗の寺には、法力を持った庵住様が居られる。
《名前を書けば知ら無い人がい無いほどの有名寺院である》
寺院名を書けば人が押し寄せ、結果的にご迷惑を掛ける事に成るからである。
しかし、庵住様の法力は凄まじい。
身は小柄でありながら、一喝すれば大柄な男性僧侶が縮み上がるほどである。
参拝に行き、私がお近づきに成ったのは、今から20年以上前のこと。
その眼光と体から発する凄まじいほどのオーラである。
そして言葉も交わさずに、私が考えて居た事を頭の中に返して来たのが御縁の始まりである。
将来、真澄稲荷の祭主も上記の様な女傑に成って欲しい。と願う今日この頃である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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