極貧、赤貧と云う言葉を最近よく耳にする。
が、では富に恵まれていればしあわせか?
確かに食べるには心配は無いで有ろう。
しかし、極貧、赤貧と云う人より心配事は多いのでは無いだろうか。
お金は使えば減り、その他にもある。
奪われる恐怖、増やしたい欲望、減る恐怖、転落する恐怖、あらゆる心配事に頭を悩ますで有ろう。
例えば、北朝鮮の独裁者が一番恐れて居るのは失う恐怖で有ろう。
産まれてからなに不自由の無い暮らし。
その暮らしを守る為に、親族はおろか兄弟まで殺害しなくては守れ無い自身の欲。
歯止めが効かず暴走、孤立する政権。
本当は政権などに関わらず、暮らしていればしあわせだったかも知れません。
欲と維持が絡み合う富とは必要なのか。
政治の世界も私は同じだと思う。
最初は青雲の志だった人が変貌して行く事に、本人も気づか無い訳が無い。
しかし、朝起きればその日の予定に追われ、周りから先生を連呼される内、自分は偉いのだと勘違いの連続。
そしてまた次の日を迎え、落選するまで錯覚は続く。
落選する恐怖、全ては失う恐怖の為に動く、誠に哀れな生き方では無いだろうか?
選択は全て自分なのです。
祭り上げられただけの者は、何時か馬脚を現し失脚。
もしくは、敗退と破滅を味わい、失意の底で幕を閉じるのである。
その逆に、感謝の中に生きる人には夢と希望が満ち溢れ、安心の中で學びを深めるで有ろう。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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