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密教205 奥義

私は、当年六十三歳になりますが、ようやく奥義とは何かを理解し得た気がします。

密教の奥義は、安心立命するところに即身成仏が成立するのであるのです。
簡単に言えば、安心を得る事が無く苦しみの中にいれば、學びは絶え、苦界と成ります。

また、苦界から救う手段が加持祈祷力であり、苦しみから救う手段でもあるのです。
例えば、腹痛を病む人に食べ物を勧めても意味が無く、頭痛に喘ぐ人に思想哲学を説いても、無用の長物。

必要なのは、まず痛みを癒す事。

痛みは人を変え、人格をも変貌させます。
《精神も同じ作用と考える》

密教の秘法は、腹痛、頭痛を癒す事と同じなのです。
様々な苦界から、救い上げる為の方法論であり、妙薬と私は信じます。

精神と肉体は歯車と同じ。
片方が誤作動を起こせば、正常な働きは出来ません。

また、欲も同じである。
ある程度の欲は學びを欲し、欲が過ぎれば餓鬼と成る。

全ては、両輪が円滑に作動し、作用する事に寄り可動します。
欲を過度に否定しては學びを嫌い、欲を肯定し欲すれば學びを失います。

全ては程々に、喜びを感じ過ぎれば我欲を呼び、破滅を呼びます。

分かち合う時、本当の奥義が其処にあるのではないでしょうか?

私達は、本来霊的存在であり、霊界の法則の中に生かされて居るのです。
密教は、霊界の法則の中に有ると考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2016-05-30 06:00 | 赤不動明王院通信
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