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密教664 加行に挑む

弟子と成り加行を与えられる者は多いが、挑む者は少ない。

言葉の上では理解し難い方の為に解説すれば、授業は誰でも受けられますが、自身が望んで受ける人は少ないであろう。

何故ならば、義務と望むとの違いである。
例えば、やらされている意思は、心に自由は芽生えません。
その逆に望んで行う場合、幾多の試練に遭遇しても、創意工夫と信念により打開されます。
言わば思い入れの強さの度合いである。

始めから《自分など、私なんか》と自身を決め付けてはいけない!
本当の意味で言えば、人間の能力の差など微々たるものである。
違うのは、思い入れの強弱だけである。
私など幼い頃は虚弱児童、三歳まで歩けませんでした。
しかし、父母の愛を受け生きられました。
そして今があります。


自身に甘える事無く、重ねる事に真があります。
重ねる事を嫌い、怠惰、甘えに生きる時、答えは明白であり、込めて生きる事の大切さを悟ります。
私の新参弟子である弟子の中でも、群を抜いて居る者も居ます!
女性の身でありながら、他に類を観ない御本尊様を自力で建立し、現在は稲荷杜の斎主である。
其処に至るには、様々な試練と涙ぐましい努力があります。


お金があれば誰でも出来るほど甘く無いのが、全てに共通する事では無いでしょうか。
成し遂げるには、挑む心と不退転の覚悟が必要であり、學びが不可欠である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2017-10-01 06:00 | 赤不動明王院通信
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