人は満足の中では、何も考え様とはしないで在ろう。
その逆に窮地に陥ったり、苦境に遭遇した時に初めて考えるで在ろう。
では、苦境、窮地に陥った時に改善出来る人は何人いるだろうか?
今思えば私の人生は、苦境と窮地の連続だった。
希望が実現したと安心すれば破綻し、しあわせな家庭生活も死の訪れに依り崩壊。
失意をこれでも可と云うほど味わって来たが、変わらない事が一つある。
それは信仰心である。
何度も死を考え、自分と向き合い、それでも涙を拭い仕事に向かう働く事は生きる為であり、当たり前の事である。
だが、失意の内にある時に生きる為に働く事の辛さを体験した時、人は様々な思いに翻弄されやすい。
生きる意味を失い彷徨う時、人は死を考える。
そんな時に多いのが憑依である。
自殺した方の言葉を聞く時、異口同音に答えられるのは『何故死んだかわからない』である。
正に死ぬ氣などなかったのである。
では何故、自殺したのか?
引き込まれ現象である。
引き込まれは、誰にでも起こります。
例えば、失意の内にある人が死にたいと考え彷徨う時、心の隙間に入り込んで来るのが憑依である。
死にたい、死ねるかな?死ねる。に変わるのが憑依の実態である。
しかし、恐れる必要などありません。
正しい信仰心を確立していれば、そんな低級霊に翻弄される事などありません。
何故ならば、明日を怯えて迎えるより、自身から明日に飛び込み、希望を実現する為に生きる事が重要である。
失意、絶望の中からは何も生まれません。
心の転身を果たし、明日に羽ばたく姿を想像する時、あなたの人生は変わります。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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