涙。
涙を流した事の無い人は居ない。
悔し涙、喜びの涙、悲しみ、哀しみの涙、そして最後に到達する涙が感動の涙である。
人間には、感動の感情があるから學べるのである。
数式だけに捉われて感情を無視する時、そこには感動は皆無である。
人間は、様々な感情内での紆余曲折を味わい、自身を形勢し、我慢と言う感情を身に着けて行くのである。
我慢は、自分を律する事が出来なければ鬱積した感情に成るので、良い結果は生まれ無い。
その逆に、自分を律して凛として生きる時、自信と誇りに変わり変貌するであろう。
仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」と言います。七慢とは下記の通りです。
1、慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
2、過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
3、慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
4、増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
5、我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
6、卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
7、邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。
諂 (てん)とは、「へつらい」の心です。
自分だけの利益や世間の評判を得るがために、他者をだまして迷わそうとして、人に媚びへつらい等など従順を装い、人の心を操縦する心である。
しかし昨今は、我慢を美徳と捉えられない様である。
争い、上回る事にしか興味が無い様に見えるのは私だけであろうか。
殺伐の中からは何も生まれ無い事に早く氣づき、自身の中に感動の涙を受け入れ磨く時、あなたの人生は一変します。
氣づく事に速い遅いはありません。
氣づいた時が始まりなのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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