私の寺には、様々な悩みを抱えた方々がお出で成ります。
中には、ここで解決出来なければ自殺しようと思い詰めて居る方も居られますが、生きる氣力を取り戻して帰られます。
それから、ほとんどの方が、ある人は弟子に、あるいは信徒に成られて居られます。
御本尊様の慈悲の力の成せる技であり、改めて想う事、それは道具と成り生きる我が身の有難さです。
自殺は人生の中退、やり直しは効きません。
そして最も悲惨なのは、自殺した後からやって来る事を誰も知らないことです。
私なら、自殺するくらいなら行法の下で命が滅するまでひたすら待ちます。
自殺は家族を泣かせ、周りに悲しみと苦しみしか残しません。
そして自殺した本人は後悔と自責の念に苛まれ、暗黒蔵の中に自ら入り、反省の年月を送るのです。
これを救えるのは、御仏しか居られません。
それも、自殺した本人が完全に反省をしなければ、未来永劫、暗黒蔵の中で一人たたずむ時を過ごす事になるのです。
これを信じるも、信じ無いも勝手です。
しかし自殺を決行した時点で、戻り橋は無いのです。
私は自殺を様々な状況の中で体験して参りました。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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