呪詛と呪術は同一視されがちですが、根本的に違います。
簡単に言えば、呪詛は呪いを掛ける相手に危害が及ぶように行います。
呪術とは、人智では解決出来無い事を、御仏の力をお借りして解決に導くものです。
呪詛は、掛ける者も依頼した者にもカルマは増加します。
当たり前の事ですが、依頼する者が居るから受ける者が出現し、受ける者が居るから依頼するのです。
どちらも同類であると言わざるを得ません。
怨む前に、嫌な相手から離れ、絶縁すれば良いのです。
仕事場でも同じです。
次の職場を決めて、嫌な事にこだわらず手放せば良いのです。
私は呪術の専門僧ですが、呪詛の理論も方法論、実践法も心得ていますが呪詛の依頼は受けません。
また、呪詛の方法も教えません。
呪術だけで充分だからです。
呪詛は人間の怨みの産物。
カルマを承知の上で行うならやれば良い。
しかし人を呪わば穴二つの言葉通り、割りに合わないのが呪詛です。
例えば、十回呪詛しても一回の正法に負けるのです。
増してや、金銭の授受で請け負っても悪銭身に付かず、福銭には遠くならないのです。
正しく理性と智慧を育む者には、必ずや御仏の慈悲が訪れます。
怨む心を放念し、愛を學び氣づきに目覚める時、真実を知ることになります。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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