行法を重ね、結願し、最後に願いを開白する。
密教は、専門的には様々な段階を経て、成り立つカリキュラムであると私は思います。
其処にあるのは、最後まで諦めず進む意志力である。
《努力する氣に華が咲く》
様々な障害を乗り越え、己れを磨き、込めて生きる時、必ず開かれる門が密門である。
百日を始めとし、千日を初心とし、万日を以って極みとす。
私達は現代生活の中で、ともすれば安直に考え、インスタント方法に行きがちに成ります。
考え方も同じで、インスタント的な考え方は、脳がインスタントに毒されて居ると言わざるを得ません。
《日々是、丹精》
積み重ね、築き上げ、堅固なものは崩し難く、簡単に即席のものは儚く脆いのです。
早い遅いはどちらでも良い。
自分の速度で、自分の歩みで、踏み締め歩み、生きる時、貴女は知ることが出来るのです。
生きるとは、生かされて居る事を。
焦る必要など、無いのです。
一歩づつ地に足を付けて歩み、躓き、傷つき、泥だらけに成っても立ち上がる時、手に饅頭を掴み、生きるのです。
回向結願、望み、果たし、進む時、必ず大慈悲のお計らいが働くのであります。
馬鹿にされても、傷付けられても、信仰心を持ち続ける貴女を侵す事は、出来ません。
泣いても良いのです。
大慈悲は、貴女の中に、芽生える、一輪の花なのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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