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密教172 回向発願

大慈悲に出会うには、自らが歩まねば道は開けない。
ただ手を合わせても、道は遠い。
様々な行法を履修し、会得・体得する事は韋駄天の如くであるのです。

私は、密教僧になって今年で43年。
各地の老師を訪ね、放浪を重ねて参りました。

あの頃、不安と探究心だけの若者でした。
現在は、寺に座して毎日を過ごす、唯の爺いに成りました。
今の自分があるのは、全て御本尊赤不動明王尊様の大慈悲であり、私は唯の道具に過ぎません。

御本尊様と始めて出会い、結ばせて頂いたのは、僧侶と成る以前の十年前の出会いからなのです。
母が他界し、父が他界し、僧侶の道に入り現在に至ります。
発願し、回向を重ねて参り、現在があるのです。

辛く、悲しくて、何度も自爆しそうに成った時、優しく支えてくれた御本尊様。
私は終生、御本尊様の道具として、精進して行かさせて頂く覚悟で御座います。

縁は待つものでは無く、求め、精進するものでは無いでしょうか、、、。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2016-04-30 06:00 | 赤不動明王院通信
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