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密教149 御加護の有無

大義の部分では、全ての人が護られて居ると言えすが、狭義で言えば、信仰心の無い人を護る事は無いのです。
人間界の場合と同じように、無視する者を助ける事は無いのです。

今回、私が旅先で遭遇した事例では、もし普通の人が遭遇して居たら、深刻な事態に発展して居た事でしょう。
一見、理不尽に思う事柄ですが、誰にでも起こり得るのも事実であるのです。

霊的に御加護を得る者と得無い者の差は、実は歴然として居るのであります。

例えば、様々な事件事故で、助かる人、助から無い人の差が歴然として居るのも確かな様に、霊的御加護はハッキリして居るのです。
だからと言って、私は護られて居るから大丈夫、は無いのです。

常に感謝して生きる事こそ、最高のbarrier《霊的御加護、結界》を張る事に繋がるのです。
神仏をオモチャにしていれば、いずれトンデモナイ事態を招く結果に成ります。
その時人は、大変な後悔をする事に成るのです。

その逆に、正しい信仰心を養い、自らを律して生きる時、必ず護られます。
人間の能力など、《私》大した事は御座いません。

御仏のお力をお借り出来なければ、何も出来無いのが現状で御座います。

私は、道具としての自分を更に鍛え、道具の本分を忘れず、残りの人生を歩んで行く覚悟です。
御仏は、あなたに耐えられ無い試練を与えません。

耐えられ無いと思うのは、自身の小我。
頑張りましょう。
明日の皆さんがしあわせであります様に、お祈り申し上げます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2016-04-07 06:00 | 赤不動明王院通信
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