僧侶の仕事は、拝むことではありません。
諭導くことこそが、仕事で御座います。
その為に学び、その為に修行をするのであると、私は想います。
供養は諭し。
祈祷は、御仏と願主との仲介役。
僧侶は、奉仕を本懐とします。
御本尊様の道具に成りきる事に喜びを覚える者と成る事が、私の最大の目的であります。
そして、御本尊様に生かされて居る事の喜びがあるので御座います。
常に学びを求め、現在も學んで居る時、御本尊様の慈悲を頂戴出来る事に涙する自分があります。
私の自論で御座いますが、僧侶である自分は終生道具でありたいと願うので御座います。
批判、中傷、誹謗、は餓鬼の諸行であります。
妬み、嫉み、嫉妬は、畜生の諸行であります。
餓鬼畜生は、浄化、成仏はありません。
今を、一生懸命に生きる事こそ、正に御仏が望まれる事なので御座います。
一生懸命に生きる事に、証しも代償も要りません。
あなたの心に刻まれた、経験と感動が、全てを物語って居るのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
赤不動院 院主 永作優三輝
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