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密教33 舎利とは何か

一般的に、舎利とはお釈迦様の御真骨を想像しますが、私共密教僧が舎利と呼ぶ物は骨では御座いません。
詳しくは書けませんが、存在します。

我が密教塾では、塾生には舎利の存在と法の成就に必要な物を伝授して参ります。

舎利とは自然界の力であり、自然界の力を借りる事に依り秘法の成就も有るのです。
全ては、法則に従って淡々と進め、成就させる事なのです。

奇蹟、不思議はありません。
全ては、必然なのであります。

必然を理解し、実践する事が密教であり、密教僧の役目と存じ上げます。
必然を学ぶ事が、最大の課題なのです。

また、必然を学ぶ事は容易ではありません。
棚からぼた餅は、存在しません。
真実は、必然にあるのです。

一般的な理解では到底、到達は難しく困難を極めます。
しかし乍ら、諦め、傲慢、怠惰の中に居ては、到達どころか触れる事も叶いません。

あなたが、求め、学び、邁進する時、導きが具現し、実践の道が開かれます。
楽な学びは遊びの範疇であり、本当の苦を理解し学ぶ時、お計らいの力を実感します。

お計らいの力を実感する時、御加護を理解し、次なる段階へと導かれるのです。
餓鬼界に位置するものは、終生知る事の無い境涯であり、触れる事も出来ません。

正しく理解し、理性の眼を養う時、開眼します。

自然界の摂理の力と、広大無辺な力をあなたは理解されます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
赤不動院 院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2015-11-23 06:00 | 赤不動明王院通信
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