私の友人で密教僧のM氏は、近年、奥様と御子息が相次いで他界され、その心中察して余りあるものがあります。
如何に密教を学んだ僧侶でも、やはり生身の人間!
寂しさ悲しさは、表に出さねど感じる事は御座います。
その友人が愚僧の庵を訪れ、茶を飲み昔話しに興じていると、愚僧の頭の中で声が聞こえました。
其れも今、目の前に居る友人の奥様の声で、「インドに行かせ無いで下さい」と私に頼むのです。
友人は、私との話の中で、インドに行き、婆羅門を学びたいと言って居るのです。
友人の奥様が言うには、「主人は、インドで死ぬつもりでいます。どうか止めて下さいお願いします」
私は、友人に訪ねました。
婆羅門の何を学びたいのか?
私も婆羅門については自分成りに学び研究もして来て、少しは理解出来るが、君の求めて居る最終目的を後学の為に教えてはくれまいか。
そうと言うと、仕方無さそうに、婆羅門の苦行で、兜率天におわす弥勒菩薩の来迎を迎える為の苦行だと。
お釈迦様もこの行で命を落とし掛け、村の娘、スジャータが捧げた乳粥で命を繋げたほどの荒行です。
私は、友人に向かい言いました。
「其れは、卒業では無く人生の中退だ」
友人は激昂しましたが、話しを続けて奥様の言葉も繋げました。
最後に、君ほどの者が後の者に指導もせず行くは愚の骨頂。
と云うと、お前には霊的能力があるが、俺には無いから分からない、と云う。
分からないのなら、何故分かろうとしないのか!
友人は、解って居るのだ。
ただ、認める事が辛くて言って居る事が、私にも痛いほど伝わって来ました。
それから友人は、密教僧として日夜、霊的真理とは、何かと研究格闘しております。
愚僧も負けじと60の手習いの如く、霊的真理と向き合う毎日で御座います。
蓮華合掌