昨今、聖域を穢す者が増えて居るが、これは、最低の自殺行為である。
私は聖域を穢した者の末路を見てきた。
以下は、体験談である《実話》
その人は、無神論者を気取って居ただけなら何の問題も無かった。
が、仲間たちと歩いて居た時、酒に酔って居たのだろう。
『祟るなら祟って見ろ』そう言って、在ろう事かお地蔵様に放尿し、高笑いした。
それだけで辞めて置けばまだしも、事あるごとに、様々な石仏や、神社仏閣の建物を見れば毒づき、
『祟れるものなら祟って見ろ』と言っていたそうである。
ある夏の日に、仲間たちが肝試しをやると言うので、参加して其処に有った石仏の頭を蹴った。
石仏の頭は折れ、転がった。
異変は7日後に始まった。
幻聴、幻覚に悩まされて、家族が精神科に入院させたが半月ほどで退院。
そして、今度は総合病院に入院した。
癌である。
治療も虚しく、全身に癌が転移して苦しみ抜いて亡くなった。
神仏を信じようが、信じまいが自由である。
嫌なら、無視すれば良いだけである。
関わる必要も無い。
昨今では多くの方々が、事あるごとに、評論家のように、様々な事に批判する風潮がある。
しかし、面白半分の批判は、やがて自分に返って来る可能性を秘めて居る事を覚えておいて貰いたい。
嫌なら、嫌いなら、見なければ良い、関わらなければ良いだけである。
愛の裏返しは、無関心である様に。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝