人気ブログランキング | 話題のタグを見る

密教1594 心霊体験【土地と中古物件】

昨今の不動産に関わる状況は、憂うものがある。
どうゆう事かと言えば、不動産業者のいい加減さ【良い加減では無い】である。
私が知る例を言えば、事故物件をあるカラクリを使い普通物件として売買したり、賃貸を斡旋したりである。
池の埋め立てなどは、眼を覆いたい様な有り様である。
何故、私が解るかと言えば、私は二級建築士の免許も有して居るのである。【知識は持って居ります】
此処で知識を述べる気は無いが、余りにもずさんな工事方法には辟易します。
私達は、もっと賢く成らねば成りません。
例えば、事故物件も簡単に知る事が出来るのである。
要は、如何に真剣に事にあたるかが肝心なのである。
損をするのは、誰あろう自分なのである。
他人任せにする癖は、もうやめましょう。
自ら足を運び自ら調べる、今はその気に成れば幾らでも出来る時代である。
事故物件を有する貸主は、正しい祈祷やお祓いを実践し借主に提供する事は、当たり前に行うのが当然では無いでしょうか。
そうする事で二次災害も防げ、信用も得られるのでは無いでしょうか。
正に負の連鎖を断ち切る事は、自らのしあわせにも繋がるのである。

業者にも、言える。
正直な仕事こそ、会社存続の大前提である。
盗めば盗まれ、騙せば騙される。
会社のカルマは解消し無い限り、未来永劫に続く重荷と破滅に繋がる因縁と成る。
私達はそろそろ、自衛を考え実行に移す時が来て居るのである。
言われるままに信じ、騙される自分を改革し率先して學ぶ時である。
霊的事も同じく、いい加減な似非、霊能者を見破り見極めて行くのも自己責任である。
私は上記の事を再三再四書くのは。間違った認識は間違った結論しかもたらさ無いからである。
現在、私は霊的上級者向けのホームページを製作中である。
但し興味本位の方は、ご遠慮頂きたい。
例え弟子で在ろうが、興味本位な者は排除する方針である。
密教1594 心霊体験【土地と中古物件】_e0392772_20593395.jpg
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


# by kongousan-akafudo | 2020-11-21 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1593 心霊体験【先祖の悲しみと怒り】

その日、私はある方の依頼を受けて他府県に来て居た。
その御宅はかなりの旧家である事は、屋敷周りの塀と門構えを見れば一目瞭然の家である。
門を入り石畳を歩き玄関に案内され屋敷内に入った時、只ならぬ気配を感じたのである。
応接間に通され家人から説明された依頼内容は、ご主人の病気平癒である。
ご主人が病気になる前は、商売も順風満帆で忙しい毎日で合ったと云う。
しかしある日突然、ご主人が原因不明の病いに合ってからは商売も思わしく無いので、お願いしたいと云う依頼である。
私は先ず病床にあるご主人に面会し、二、三お尋ねする事にした。【何時もの霊査】
ご主人に伺った事に寄れば、仕事の資金に困り家代々の古物を売却したと言うのである。
その売却金はかなりの金額であり、御先祖のお人柄が偲ばれるが売っては行けない物迄、売ってしまったのである。
それは御先祖様が代々家の護りに御祀りして居た、ある仏像であります。
小さいが高価な品で、霊験も強い方であります。

私は、その仏像の買い戻しを提案した。
しなければこの家は絶え、一家離散してしまうからである。
それほどの御品である。
ご主人も納得して早速、業者連絡したところ業者も喜んで承諾してくれました。
お帰りになられた仏像を私が安置して【元の場所に元の様に安置】、御供養の浴湯をさせて頂きました。
実は、業者も困って居たのである。
買ったは良いが、様々なトラブル続きだったのである。
聡明な読者諸君なら察しが付くで在ろうが、あの仏様であります。
この御宅ではその後、私が紹介したお寺で毎月、お帰りになられた御本尊様に御供養を御願いして居られるとの事。
ご主人も元気になられ、仕事も順調になられたとの事である。
正に古物の売り買いによって、起きた事象でありました。
密教1593 心霊体験【先祖の悲しみと怒り】_e0392772_22215207.jpg
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


# by kongousan-akafudo | 2020-11-20 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1592 心霊体験【古物】

現在はアンティークとかテレビで、鑑定団とか様々に持て囃されて居る古物、私が育った昭和の頃は街に古物商が軒を連ねておりました。
着物、洋服、雑貨と様々な物が売られ、中には仏像、仏具、法具まで並んで居る。
正に貧しい人が、僅かなお金で手放した物が古物として売られて居た時代である。
後に知った事だが、着物など良い物は死体から剥がし洗濯して、店先に並ぶ事も多々あると教えられました。
昨今のアンティークブームで私が気づいた事をお話しすれば、遺品がかなりの数、売られて居る現実である。
今は、パソコンや携帯で簡単に古物を観たり買ったり出来る時代であるが、考えて頂きたい。
古物には想いが残る場合がある事を、例えば指輪、遺族が大切にする分には差し支え有りませんが、供養もせずに売れるから売るでは余りにも故人が浮かばれないどころか、物に執着する余り買った者に障りが生ずる事がある。
指輪に限らず、様々な物に言えよう。
それでもその物が好きで買うなら、大事に扱いその物が納得する様にする事が肝要である。
また高く売れそうだから、買う価値がありそうだから、買うはお勧め出来ません。

当院では御刀供養を賜っておりますが、刀は性質上、血を吸って居る事があるので、一般家庭にはお勧め出来ません。
それでも好きだから持ちたいと思う方は、祈祷寺にて撥遣【魂抜き】をしてから、然るべき安置をして下さい。
私の知る実例では、古物を買ってから上手くいかない、身体の調子が良く無いなどなど様々な事例があります。
美術品と言えども古物、前に持ち主が居たから残って居る事を忘れては行けません。
来歴のハッキリしない物は、素人が手を出す物では有りません。
次回は、古物の売買で起きた実例を紹介して参ります。
密教1592 心霊体験【古物】_e0392772_21595965.jpg
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


# by kongousan-akafudo | 2020-11-19 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1591 心霊体験【憑依】

先日の事である。
檀家さんの紹介であるご夫婦が、訪ねて参りました。
二十代前半のご夫婦である。
私には、一目で内容が解りました。
憑依である。それもたちの悪い、浮遊霊である。
何故、たちが悪いのかと言えば、除霊される事を察知して私の寺に着く前に離れ、遠くで若夫婦の帰りを待って居るのである。
正に、待ち伏せである。
これを防ぐ事は出来るが、先ずは本人達の了承と自覚を促さねば取り憑いた霊を除霊しても、また他の霊が取り憑くといった状態を繰り返すだけである。
そして彼らが来院したのも、予約も無しの夕刻で私も多忙である為、後日予約してから来る様に言い帰宅して頂きました。
何故、了承と自覚が必要か聡明な読者の皆さんならお解りで在ろう。
心霊スポットと言われる所には、好んで行かない、霊に遊び半分で関わらない、当たり前だがこれは大切な事である。
幾らこちら側が真剣に教えても、遊び半分で上記を繰り返せば当然だが怒りを浴びるのは、当たり前である。
その後、この若夫婦とは音信不通である。
心配に成り霊視したところ、憑依霊に言いくるめられ全く平気な状態である。
これからが、怖いのである。
本人達が改心するまで、様々な不幸が襲い掛かって来る事は分かっているが、本人達が自らの意思で音信不通を選択したので、これ以上は私にもどうしようも無いのである。
霊的無知は時として、不幸を呼び寄せる結果と成る事が多々ある
決して霊を侮り、遊びの対象にしてはいけない。
霊的な事に関わりたいので有れば、真剣に學びを深めてから行う事が肝要である。
自己流や生半可な修行でやれるほど、この世界は甘く無い。
何故か?
始めは良く段々と絡み合った糸の如く、がんじがらめに落ち入って行くのである。
そうなったら、私では助ける事は出来ません。
毎日を明るく笑い声の絶えない家には、悪い事は起きません。
密教1591 心霊体験【憑依】_e0392772_21495212.jpg
また、悪いものも寄り付け無いのである。
信仰と學びは、自らを磨き周りを照らす光明と成る。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


# by kongousan-akafudo | 2020-11-18 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1590 心霊体験【縁切り】

一個人の意見で言えば、縁切りには否定的である。
何故か?
余程酷い例には祈祷法も辞さないが、大体が身から出た錆か自らが引き寄せた結果なのである。
人間関係は縁に始まり疎遠に終わるが、生き方も縁なのである。
仕事から私生活に至るまで、縁と言えよう。
例えば、仕事に不満が有ろうとその仕事を選び従事したのも自分であり、雇い入れて貰ったのは縁である。
私生活の中で思い通りにならない事があっても、自らが望み手に入れた生活である。
理想通りの生活を手に入れた瞬間から、人は不満を感じるのも人間だからである。
満たされても、満足が無いのも人間である。
しかし、これらも縁から発したものなのである。
望まなければ、縁は発生しません。
密教1590 心霊体験【縁切り】_e0392772_17340087.jpg
また良縁を求めるのは人間として当然で在ろうが、自らが良縁に相応しい人格を形成せねば良縁にあっても、良縁を理解出来ずに終わってしまうのである。
悪縁を呼び寄せるも自分、悪縁を切るも自分である。
しかし乍ら、中々切る事が出来無い人が居るのも事実、悪いと解って居ても切れ無い場合は、御仏の御力にすがるしか方法は無いで在ろう。
それが、御仏の慈悲である。
自力本願は、最良である。
しかし弱いのも人間、弱さを恥じる事は有りません。
一心に祈り信仰を深める事に依り、良縁に辿り着いた方々もたくさんおられます。
先ずは、理解出来る自分を作る事である。
無理解からは、何も生まれません。
理解出来る心は、御仏の智慧に繋がる第一歩、踏み出す勇気こそ良縁に繋がる道である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


# by kongousan-akafudo | 2020-11-17 06:00 | ◎赤不動明王院通信